姉が生きた美容院 思い出つなぐ 看板は地域とともに

川野由起
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 【宮城】雲一つない快晴に、氏家洋子さん(76)=仙台市太白区=の指輪がキラキラと光っていた。氏家さんの薬指にはちょっと大きめ。姉の高橋つか子さん(当時74)が身につけていたものだ。

 11日、宮城県石巻市の南浜・門脇地区に整備中の石巻南浜津波復興祈念公園で、慰霊碑の除幕式があった。氏家さんは刻まれた姉の名前を探しだし、花を手向けた。

 旧北上川の河口沿いにあるこの場所に、姉と2人で切り盛りした「パリー美容院」があった。「石巻にパリのような華やかな場所を」。そう願って、姉が修業先から名を借りて約60年前に立ち上げた店だ。

 氏家さんは20歳ごろから働き始め、メイクが得意だった。カットの手際がよい姉のことは「先生」と呼んだ。

 成人式結婚式は特に大忙しだった。一人一人に合わせてカツラや髪飾りを作り、早朝から着付けやメイク。「一日中着ても疲れない」と評判で、親子3代で来てくれるお客さんもいてにぎわった。

 結婚して仙台で暮らすようになってからも、氏家さんは店を手伝い続けた。他に美容師は雇わず、頼りにされていた。

 震災の1週間前にも店を訪れた。いつものようにショートカットにしてもらい、少し暗めの茶色に染めてパーマをあてた。「年なんだから髪の毛はちゃんとしなよ」。姉はいつも冗談めかしてそう言っていた。

 この日に地震があって、姉には「津波が来るから何をおいても逃げてね」と念を押していた。

 そして、当日。氏家さんは娘宅がある名取市の高台から、黒い津波が押し寄せてくるのをぼうぜんと眺めていた。

 南浜・門脇地区では540人近い住民が死亡・行方不明になり、家々は土台ごと流され、景色は一変していた。石巻市内で消防団を務める弟とは連絡がついたが、姉の安否は何日たっても分からなかった。

 警察から連絡があったのは2012年4月。石巻市内の安置所に向かうと、遺灰と金色の指輪だけが残されていた。母親の形見で、姉がいつもはめていた指輪だった。

 「あんなに一生懸命に働いて頑張ったのに、衣装も化粧品もカツラも何もない。指輪だけになって」

 いつか仙台で一緒に美容院をやろうと話していたのに。店に通ってきてくれたお客さんももういない。

 震災後、一度だけ仙台市内の美容院で髪を切ってもらったことがある。姉を思い出して涙が止まらなくなった。以来、髪は自分で切るようになった。

 慰霊碑に花を手向けた後、氏家さんは、石巻市に住む弟の高橋敬治さん(72)と、祈念公園そばにできたばかりの伝承交流施設「MEET門脇」を訪れた。そこには、ひしゃげて泥がついたままの「パリー美容院」の看板が展示されていた。

 震災からまもなく、敬治さんががれきの中から見つけ出し、店の跡地に立てていた。近所の人が訪れてきたとき、「パリーさんがここなら、うちはこっち」と目印になればと。

 久しぶりに会った敬治さんを前に、氏家さんは看板で少しおどけて見せた。

 「私の家でーす」。何度か繰り返していると、1人の女性が近づいた。

 「実は祖母がよくお店にお世話になっていて…」。美容院のすぐそばに住んでいた東松島市学校職員野口裕衣さん(31)だった。2人は見つめ合い、涙を浮かべて抱き合った。

 店は街とともにあった。お金に困っている人にはちょっぴりおまけをした。家族の愚痴もたくさん聞いた。街の人は買い物でサービスしてくれた。

 展示されてる看板を見るのは辛いけど、「いい街だったから。ここに置いておけば、当時を知っている人が少なくなっても、街のことを思い出してもらえたらいいな」。(川野由起)