それぞれの「3・11」 私はここから思い続ける

有料会員記事

小林太一、木村浩之、寺尾佳恵
[PR]

 東日本大震災の揺れと津波に、日本の各地に住む人がショックを受け、自分にできることを考えた。あれから10年。それぞれの「3・11」について、朝日新聞に思いを寄せてくれた人たちに聞いた。(小林太一、木村浩之、寺尾佳恵)

忘れられない誕生日 「寄り添い続けたい」

 大阪府吹田市の海道(かいどう)松子さん(71)は、3月11日が誕生日だ。10年前の1日は、特に忘れられない日になった。

 あの日は、近くの長男宅で長男の妻や長女と孫を囲み、リビングでおしゃべりを楽しんでいた。生まれて半年の初孫が会話の中心。たわいもないやりとりで、穏やかな午後だった。

 長男から電話があった。「すぐにテレビを見て」。黒い大津波が、600キロ以上先の沿岸部を襲っている。みなでテレビ画面を見つめた。現実味を感じられず、どこかで「遠い場所の話」という意識があった。

 61回目の誕生日のこの日、夜には家族でお祝いする予定になっていた。せっかくだからと、市内の高層ビル内にある中華料理店に夫や長男、長女の各夫妻と集まり、食事をした。遠くで、消防車とみられる車列が見えた。被災地に向かうのだろうか。胸が痛んだ。

 震災の被害は、予想以上に甚大だった。孫を失った同世代の被災者の思いを伝える報道で、自らのつらい経験を思い出した。

 23歳のとき。初めての妊娠で、流産を経験した。周囲は慰めてくれたが、「本当のつらさは当事者しか分からない」と思った。でも、若い女性看護師はベッドで泣く自分の背中をずっとさすってくれた。同じ気持ちになろうとしてくれたと思い、うれしかった。

 今年も、この日がやってきた。この10年でさらに3人の孫に恵まれた。あの日の食事会はいまもうしろめたさが残るが、忘れることのできない大事な日だ。「あのときの看護師さんのように、私も被災者のみなさんの思いを知り、寄り添い続けていきたい」

注目されない被災地のもどかしさ 経験仕事に生かす

 東京都北区の宮本由(ゆき)さん(28)は転職後のいまの仕事で、地図を通して子どもたちに災害を伝える機会を得た。

 10年前は高校3年生。あの日は国立大学の後期試験の前日で、茨城県ひたちなか市の自宅で勉強していた。トイレで揺れを感じ、慌てて出た。

記事の後半では、妊娠中にあの大きな揺れを経験した千葉県の女性、被災地支援に行けなかったことを悔い続けた、神奈川県のがんと闘病中の男性を紹介しています。

 約30分後、茨城県沖を震源とする震度6の揺れが再び襲った。「1回目はぼうぜんとして動けなかった。2回目の方が怖かった」と振り返る。

 食器が割れ、洋服だんすが倒れた。近所には屋根瓦が落ちた家もたくさんあった。古い自宅が傾くのではないかと、夜は母や姉らと近くの高校に避難した。

 うとうとしたかと思うと携帯…

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

【5/11まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら