「普通のおばさん」が裁判 「無力だがあきらめない」

大村久
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 市民団体「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」の代表、石丸初美さん(69)は「普通のおばさんが(裁判)やっているんです」という、佐賀市の主婦だ。

 12日の佐賀地裁判決。「原発はみんなの命の問題。未来に向けて、取り返しのつかない被害を出さないためにも原発を止めてほしい」と語る石丸さんの訴えは、退けられた。

 話は15年前にさかのぼる。

 2006年2月、当時の古川康知事が、3号機のプルサーマル計画を「安全」と表明した。石丸さんは、高校時代の恩師から「とんでもないことになっとる。有志で勉強会を開くので参加を」と誘われた。

 ピンとはこなかった。かつて、玄海町に原発ができると聞き、想像したのは原子爆弾。勉強会で「原発と原爆は原理が一緒」と聞き、思い出した。

 子育てが一段落し、ゆっくりできると考えていたころ。だが「何かあったら、佐賀が駄目になる」と思った。

 市民団体の活動に参加し、プルサーマル計画の是非を問う県民投票条例の制定を求める、約5万人の署名を集めた。しかし県議会は否決。それでも「灯を消してはいけない」と、石丸さんは活動を続けた。

 専門的なことを学ぼうと、ネットで「美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会」代表の小山英之さんを知った。大阪での講演会に向かい、「佐賀を助けてください」と訴えた。佐賀での勉強会が始まった。

 09年12月、日本で初めて、プルサーマルの営業運転が開始された。

 「裁判をしませんか?」。小山さんから提案された。

 「覚悟せないかん」。石丸さんたちは「玄海原発プルサーマル裁判の会」を発足させ、10年8月、発電に使うプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料の使用差し止めを求める訴訟を佐賀地裁に起こした。

 そしてあの日を迎える。11年3月11日。第2回口頭弁論の日だった。裁判所に向かう途中、大震災の発生を知った。東京電力福島第一原発の事故も起こった。小山さんからは「メルトダウンするかもしれない」と聞かされた。「やっぱり原発は危ない。犠牲があっても、原発は必要なのか」と思った。

 しかし、石丸さんたちの訴えは、裁判所に退けられた。大震災後に申し立てた、再稼働差し止めの仮処分も、同様だった。

 石丸さんは、これまでの歩みを「子どもや孫らを放射能から守りたいという、その一心でやってきた。特別なことではなく、子育ての延長と思っている」と振り返る。

 判決後の会見。石丸さんは声明文を力強く読み上げていたが、次第に涙をこらえるような様子に。読み上げ後、付け加えた。「私たちがあきらめたら、子どもたちはどこに帰ることができるでしょうか。無力だが、あきらめないことが力になる」(大村久)