演歌巡礼 ギター一本ひとり旅 歌い歩いた船村徹

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編集委員・小泉信一
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 大衆の喜怒哀楽に寄り添い、土や海のにおいが濃厚に漂う歌や、しっとりとした女の情念あふれる曲を世に出した。作曲家の船村徹。レコード会社との専属契約をやめ、1978(昭和53)年、46歳のときフリーになった。「演歌巡礼」と名づけた旅。初心に戻り、巷(ちまた)で歌うことから始めた再出発だった。

 栃木県船生村(現塩谷町)生まれ。ペンネームの「船村」に望郷の念がこもる。

 12歳上の兄は陸軍士官学校出身。戦地に赴く直前、ハーモニカで「ドリゴのセレナーデ」を吹いてもらった。指揮官として乗り込んだ輸送船ニューギニアへ向かう途中、ミンダナオ付近で戦死した。その兄の無念の思いを胸に、船村は東京で音楽を学んだ。

 最初のヒット曲は55年に出した「別れの一本杉」(春日八郎)。「ビルや工場が続々と建つ大都市に、仕事を求めて地方から多くの人たちが集まってきた。『別れの一本杉』は、そうして田舎から東京に出てきた男が、故郷に残した恋人をしのぶ歌である」(95年6月14日の夕刊)。島倉千代子が切々と歌った「東京だョおっ母(か)さん」も昭和30年代の空気を醸し出している。東京で頑張る人たちへの応援歌と言えるだろう。

 その後も「王将」など大ヒッ…

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