朝鮮出身の犠牲者、初の追悼集会 大阪大空襲から76年

武田肇
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 第2次世界大戦中の大阪大空襲で犠牲になった朝鮮半島出身の人たちを追悼する初の集会が、最初の大空襲(1945年3月13~14日)から76年の13日、大阪市北区で開かれた。1万5千人とされる大空襲の犠牲者のうち、何人が朝鮮人だったか実態は今も明らかではない。「歴史の空白」を埋めようと日本人の研究者と在日コリアンの有志が連携して取り組んだ。

 大阪空襲75年朝鮮人犠牲者追悼集会実行委員会が主催した。犠牲者の氏名を記した名簿を祭壇に置き、参加者約150人が黙禱(もくとう)をささげた。在日3世の大学生、李葎理(リリュルリ)さん(21)が「再びつらい思いをする人がない世の中に」とする追悼文を朗読した。

 敗戦まで日本が朝鮮半島を統治したことを背景に、1942年の大阪府警察統計書によると、大阪には約41万人の朝鮮人が暮らしていた。ところが、「大阪大空襲の体験を語る会」が集めた体験記約450編には朝鮮人の手記は一本もなく、追悼式も開かれてこなかった。大阪空襲被災者運動資料研究会代表で元高校教員の横山篤夫さん(79)が約2年前、調査と追悼を呼びかけた。

 しかし、立ちはだかったのが名前の壁だった。大阪市中央区の大阪国際平和センター(ピースおおさか)には、空襲で亡くなった9117人の名簿があるが、民族名(本名)で記されていたのは十数人。敗戦まで強いられた創氏改名や、日本社会で差別を避けるため、本名を名乗れない状況もあり、多くが名簿に日本名で記されていた。専門家の分析や文献との照合で、159人を朝鮮半島出身と特定した。うち2人は戦時中の労務動員で大阪に来た人だった。

 13日の集会では、調査に協力した京都大の水野直樹名誉教授(朝鮮近代史)が講演し、「植民地支配の過ちを記憶するためにも、後世に残す空襲死没者名簿は、生まれ持った名前で記されるのが望ましい」と話した。

 集会に参加した徐龍達(ソヨンダル)・桃山学院大名誉教授(87)は「76年前、炎の街を逃げまどい、黒い雨に打たれた恐怖が今も忘れられない。伝えることが戦争をしない力になれば」と話していた。(武田肇)