大金重晴さん(70) 330年ぶりの古墳再発掘を待つ

池田敏行
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 栃木県大田原市の国指定史跡「侍塚古墳」は、徳川光圀が国内初の考古学発掘調査を実施させたことで知られる。約330年を経て、栃木県が新年度から再発掘調査に乗り出す。

 光圀の命を受け、現地で指揮をとったとされる大金重貞の子孫にあたる。

 重貞は大金家11代目。水戸領だった那須郡武茂郷(現・栃木県那珂川町)の庄屋として地域を取りまとめた。1676年、湯津上村(現・大田原市)で見つかった石碑を調べ、「那須記」に著した。国宝「那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)」だ。

 光圀が視察した際、案内した重貞が「那須記」を献上。関心を持った光圀が石碑の主を解明しようと1687年に石碑の周囲、1692年に近くの侍塚古墳を発掘調査させた。

 重貞は古墳から出土した鉄おのや高坏(たかつき)、鉄刀身破片などの遺物を詳細な絵図に記録。遺物はマツの箱に入れ、マツヤニで防水して元通りに埋め戻した。古墳が崩れるのを防ぐためにマツを植えたとされている。

 大金家24代目として家督を継いだ。父から繰り返し先祖が関わった発掘の経緯を聞いて育った。高校生のころから、家に代々伝わる発掘調査資料も目を通してきた。光圀から発掘を手紙で指示されたことや、「水戸黄門」の助さんのモデルになった佐々介三郎=別名・佐々宗淳=が自宅に来たことなどを確信したという。

 現役時代は足利銀行などで働き、現在は町文化財審議委員などを務める。「光圀から発掘費用は出たかもしれないが、先祖もかなりの額を持ち出しただろう」

 再発掘調査は地中のレーダー探査や上空からの全体像レーダー測量などを経てから、試掘調査、発掘調査で遺物の確認と保存、修復などを実施する予定だ。

 関係者の間では「地震の影響に加え、マツの根が張り出して遺物に影響を与えているかも」と早急な発掘調査を望む声もあった。

 再発掘調査では、改めて重貞の功績にも光が当たることになる。「素直にうれしい。絵図の正確さが証明されるとともに、遺物が現代の保存技術で修復され、再び長く保存されれば先祖も喜ぶはずです」(池田敏行)

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 〈侍塚古墳〉 上侍塚古墳(全長114メートル)と約800メートル離れた下侍塚古墳(全長84メートル)の二つの前方後方墳。いずれも国道294号沿いにある。下侍塚古墳は1975年に周溝調査された。