日英交渉を惑わせたチーズ 甘くなめらか、青カビの香り

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英中部ダービーシャー=和気真也
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 そのチーズの名前は「スティルトン」という。昨年、日本と英国の通商交渉の最終盤に、突如として脚光を浴びたチーズだ。

 新たな貿易協定を結ぶ交渉中だった日本と英国。多くの分野で担当者レベルの合意を見いだした昨年8月、詰めの交渉のため、茂木敏充外相はロンドンに飛んだ。英国のトラス国際貿易相と会談し、「大筋合意」を取り付けると日英メディアの多くが予想した。

 ところが、会談を終えた両氏が発表した内容は「8月末までに大筋合意することで合意した」。なんとも回りくどいが、要するに話はまとまらなかった。

 原因として浮上したのが、スティルトンだ。トラス国際貿易相が最後に、このチーズの輸出を増やせるよう関税を譲歩して欲しいと持ちかけたというのだ。

 農産品は貿易交渉において特にセンシティブな分野だ。即決には至らず、「大筋合意することで合意」にとどまった。日英交渉はその後、9月に入ってから大筋合意に至った。包括的経済連携協定(EPA)は10月の署名を経て、今年1月に無事、発効した。

 さて。関係者を慌てさせたスティルトンチーズとはどんな代物なのか。

英国だけど、奈良を感じる田舎町

 3月上旬、新型コロナウイルス感染対策在宅勤務を続ける自宅を出て、久々に車を走らせた。

 ロンドンから北に約3時間。向かったのは、英中東部ダービーシャー州の田舎町だ。

 高速道路を降りると、かつて勤務した奈良の十津川村を思い出させる、木々と川に囲まれた一本道が続いた。さらに30分走った先に、目指す農場はあった。

 農場はチーズの製造会社「ハーティントン・クリーマリー」を経営していた。

 敷地内に車を止め、牛舎の横を通って石造りの事務所に到着。2階の奥に経営者のロバート・ゴスリングさん(57)はいた。

 スティルトンチーズは青カビを使ったブルーチーズだ。欧州連合(EU)公認の特産品として、英国中東部にまたがるダービーシャー、ノッティンガムシャー、レスターシャーの3州でしか作れない。「今やメーカーは五つだけ。うちは一番小さな会社ですよ」とゴスリングさんは話した。

 コロナ禍で厳重な対策が敷かれた製造現場に入ることはできなかったが、奥の部屋から、貯蔵されていたチーズを出してくれた。

 ホールケーキのような円柱型のチーズ。乾いた表面にナイフを入れると、クリーム色の断面に緑色の斑点が見えた。これが青カビか。顔を近づける。

 うむ……。

 正直、私にはあまり得意なにおいではない。

 「冷蔵庫から出したチーズはしばらく部屋に置いて、常温で食べるのがおいしいのだけど」と言いながら、ゴスリングさんがナイフで切り出したかけらを一口勧めてくれた。

 口に入れた…

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