石巻の歌人の「震災後」 いつ途切れるか分からない日常

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佐々波幸子
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 宮城県石巻市出身の歌人、近江瞬さん(31)は昨年末までの7年半、石巻日日(ひび)新聞で記者をしていた。東日本大震災直後は手書きの壁新聞を避難所に貼り、発行を続けた地元紙だ。

 取材で震災当日の話になると、「記者さん、あんだはどごさ、いだのや」と聞かれることが多かった。「東京にいました。学生だったんで」と答えた途端、相手との距離が生じたように感じた。「発生当時の惨状を知らないという後ろめたさが、ずっとありました」

 《あの時は東京で学生をしてましたと言えば突然遠ざけられて》

 10年前は早稲田大学文化構想学部で学ぶ3年生だった。実家の石巻で暮らす父の弘一さん(62)と電話がつながり、家族の無事を確認できたのは、発生から3日たってから。実家は被災をまぬがれていた。海辺にあった祖母の家は全壊したものの、避難して命は助かったと聞き、ようやく人心地がついたことを覚えている。

 就職活動のさなかで、2週間後に最終面接を控えていた時期。父に「帰ったほうがいいか」とたずねると、東京にとどまるようにと言われ、4月下旬に初めて帰郷した。様変わりした街を自転車でまわり、自分もまた、カメラを手に被災地に来た「よそもの」のように感じた。

 震災後に最終面接を受けた第1希望のラジオ局はその年、新卒採用を見送った。震災前に内定を受けていた都内の家具販売会社に就職。人間関係に恵まれ、仕事も順調だったが、「この先も、このままでいいのか」という迷いがあった。

 2006年に亡くなった祖父…

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