東京大空襲、王貞治さんはこう逃れた 避難経路を初公開

抜井規泰
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 1945年3月10日の東京大空襲から今年で76年。「すみだ郷土文化資料館」(東京都墨田区向島2丁目)では、「東京大空襲―被害の詳細と痕跡―」が開かれている。プロ野球の王貞治さんがどのように逃げて生き残ることができたのか、その避難経路を初めて紹介した。5月9日まで。

 当時4歳だった王さんは、空襲で火の海となった向島区吾妻町(現墨田区)に暮らしていた。空襲当夜、父が営む中華料理店「五十番」を飛び出し、母に背負われて長姉と一緒に平井方面に逃げて一命をとりとめた。展示では王さんのほか、「東京大空襲・戦災資料センター」(江東区)前館長の早乙女勝元さんらの避難経路も公開されている。

 10万人が犠牲になったとされる東京大空襲は、国や都による本格的な調査研究は行われておらず、正確な死者数も分かっていない。空襲体験者の証言や手記、遺品の収集展示も、民間の東京大空襲・戦災資料センターや、同館などが担っている。

 同館では、東京大空襲で焼失した地域と類焼を免れた地域を詳細に区分けした地図の作製を進めており、今回の企画では最新の研究成果も展示している。

 正確な焼失地域の区分けができ、下町の各地区に3月10日の何時ごろに火の手が回ったのかが分かれば、これまでに収集した膨大な証言を一つひとつ裏付けられる。戦後長年にわたって被災者の「心象描写」にとどまっている証言や描かれた絵に、時間と空間のデータを盛り込めるのではないかと期待されている。

 今回作製した空襲焼失地を区分けした地図は、戦後に国の第一復員省や都、民間の地図会社が作製した3種類の被災地図のほか、空襲直後に米軍が空撮した写真などを元に作製した。

 同館の石橋星志学芸員は「地図はまだ不十分だが、今後の研究で精度を上げていきたい。コロナ禍で空襲体験者の話を対面で聞くことは難しいが、この展示から空襲の実相を考えてもらえれば」と話す。

 月曜・第4火曜休館。入館料は個人100円、中学生以下や障害者手帳などを持つ人は無料。問い合わせは同館(03・5619・7034)。(抜井規泰)