震災を曲に「いまだからこそ」弾き語りの日食なつこさん

聞き手・中山直樹
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 自分は被災者ではないから――。岩手県花巻市出身でピアノ弾き語りのアーティスト、日食なつこさん(29)はこれまでの10年間、東日本大震災と距離を置いてきた。しかし、震災10年の節目を迎え、きちんと向き合わなければいけないと考えるようになった。

 ――あの日、何をしていましたか

 盛岡駅近くの地下にあるライブバーで、友人たちと夜にライブをする予定でした。私は当時大学3年生だったけれど、大学に行くでもなく、アーティストとして生きていくと決めたわけでもなく中途半端な状態。昼過ぎからリハーサルをしていたとき、ぐらぐらと揺れました。立ってられないくらいほどで、地下は危ないからと、みんなで外に出たら電柱が信じられないくらい揺れていました。これは大変だと思いました。

 ――震災が音楽活動に影響した部分はありますか

 正直ないんです。当時、花巻の実家で暮らしていて、沿岸のように津波を見たり、大切なものをなくしてしまったりということがなかった。2011年のうちに、沿岸のライブに招待されたことが2回くらいあったんです。ただこっちとしては気持ちの整理は全くついていなかった。「がんばってね」とかって、思っている以上の気持ちを込めても、伝わらないだろうなと。

 とりあえず等身大の自分で「いまみなさんのことを助けたいと思っていますが、なにをしたらいいか正直わからないのでやれるだけやって歌って帰ります」と話したのを覚えています。

 それに、やっぱり怖かった。陸前高田の海岸とかは、子どもの頃に母親が連れて行ってくれていた場所なので。あの大きな松林がなくなり、変わってしまったこともあり、いまだにずっと見られていない。

 ――あれから10年が経ちました

 震災を体験したのが21歳のとき。21歳って、自分にできることはすごく限られている。力になりたくても、なにができるのかわからなかった。結局何もできずに私の3・11は過ぎ去っていったんです。

 ほんとに最近ですね。ようやくここ1、2年で3・11というものを意識するようになりました。それまでは音楽で生きていくことに必死で、考える余裕がなかった。

 14年から去年まで東京で活動して、ある程度ミュージシャンとしての土台ができてきた一方で、岩手出身なのに震災のことを何も知らない自分に気づいたんです。当時小さかった子たちが、今大人になって社会で私と出会ったときに、「あ、こいつ震災について何も知らないな」と思われるのもよくないなというか、ちょっと先を走る大人としては責任感がなさすぎるなと思うようになった。

 たとえば、今まで目を向けなかった震災の資料館に行ってみるとか、陸前高田の松林に行ってみるという風に、自分から勉強をしなきゃいけないと思っています。

 それはアーティストとしてではなくてあのとき何もできなかった無力な若者の自分として。そこからようやく自分の中の震災というものがアップデートされるような気がする。10年目という節目をきっかけに自分でもやってみたいなと思うようになりました。

 ――曲作りに震災がどう影響しそうですか

 無責任ですけれど、今までは自分がやることではないと思っていた。それより、震災から離れたところにいながらも、自分の曲を聴いて、エネルギーをもらってくれる人がいたら良いなと思っていた。

 意図的に震災についてインプットやアウトプットをしてこなかった自分が、調べて感じたことが曲に含まれたらどうなるのかなとは思う。

 震災の直後だったらやっぱり感情が強くなってしまって、直接的になってしまったかも。時間が経ったいまだからこそ、書く曲には意味があるのかなと思います。(聞き手・中山直樹)

     ◇

 にっしょく・なつこ 1991年、岩手県花巻市出身。2009年に活動を始めフジロックなどのフェスに多数出演。