亡命者らが生んだミャンマーメディア 日本特派員の思い

有料会員記事

笠原真
[PR]

 ミャンマーでクーデターを起こした国軍に抗議するデモは、国内だけでなく日本でも続いている。現場に駆けつけてその様子を伝えているのが、ミャンマーメディア「ビルマ民主の声(DVB)」の日本特派員、ゾーゾーライン記者(57)だ。自らも33年前の大規模な民主化運動に参加した後、ミャンマーを脱出した経験を持つ。祖国を離れて日本に暮らしながら、いま伝えたい思いとは。

 ――なぜ来日することになったのでしょうか。

 「ミャンマーで1988年、軍政の廃止と民主化を求める大規模な民主化運動が起きました。私は当時、ヤンゴン工科大学の4年生でした。発端はちょうど33年前、88年3月13日。私たち学生と警察の間で衝突が起き、ポーモウさんという1学年上の先輩が撃たれて亡くなりました。この年のデモで出た最初の犠牲者です。3月16日にはヤンゴンの他の大学にも抗議活動が広がり、市内でデモ行進が始まりましたが、軍に弾圧され、多くの人が亡くなりました」

 「私を含めて多くのデモ参加者は命の危険を感じ、ミャンマーにいられなくなりました。私は国内を転々とした後、91年にタイに逃れ、観光ビザを取って来日。東京で仲間たちと落ち合い、88年の民主化運動を主導していた『全ビルマ学生連盟(ABSFU)』の日本支部を立ち上げました。ABSFUはデモ弾圧後もミャンマー国内で地下活動を行っていたため、その資金集めをしたり、日本でも在日ミャンマー人でデモを行ったりしてきました」

 ――「ビルマ民主の声(DVB)」とはどのようなメディアなのですか。

 「92年、民主化運動に参加した亡命者たちによって作られたメディアです。ノルウェー政府の支援を受けた上でメディアとしての独立性を保ち、拠点は首都オスロに起きました。当初は短波ラジオ放送として始まり、2005年からは衛星テレビ放送も開始しました」

 「DVBが大切にしてきたのは、軍政に対する不満や、民主化を求める国民の声を拾い上げるという姿勢です。88年の民主化運動の際には、国営テレビなどが事実とは異なる報道をしていました。ポーモウさんが殺された時も、『市民とのけんかで死亡した』ということにされてしまったのです。民主化のためには、真実を伝える報道が必要とされるはずです。DVBは軍政の時代から水面下で記者をミャンマー国内に置き、活動家の投獄や拷問、市民の生活の貧しさなどを伝えてきました。こうした報道に、多くの国民が耳を傾けてきてくれました」

 「DVBは『市民ジャーナリズム』も大切にしてきました。記者の目が行き届かないデモの現場などで市民が映像を記録し、DVBに提供してもらうのです。特に07年に僧侶が中心となって起こした反政府デモでは多くの映像が寄せられ、世界に発信することができました。この時、取材中に亡くなった長井健司さんが軍に撃たれる瞬間をとらえたのも市民ジャーナリストでした。DVBがその映像の提供を受け、日本を含め世界中に広まったのです。市民から信頼してもらい、こうした映像を提供してもらうためには、DVBがこれからも事実を伝え続けることが大事だと考えています」

 「しかし今回のクーデターで…

この記事は有料会員記事です。残り1293文字有料会員になると続きをお読みいただけます。