前身は外国人学校 韓国語の校歌、甲子園にとどろくか

吉村駿
[PR]

 春夏通じて初の甲子園出場となる京都国際(京都市東山区)の前身は、在日韓国人の子どもらが通う外国人学校「京都韓国学園」だ。現在の選手40人はみな日本国籍だが、校歌は韓国語のまま。大会5日目の初戦に勝てば、甲子園韓国語の校歌が歌われる。戦後初めてとみられる。

 戦後の1947年、京都朝鮮中学校として開校し、58年に京都韓国学園になった。硬式野球部ができたのはその約40年後のことだ。

 当時は全校生徒30人ほどの小さな学校。グラウンドはあったが、部活動をする生徒は少なかった。学校の運営法人の副理事長、金安一さん(78)は元高校球児。「グラウンドから生徒の声が聞こえてくれば学校が盛り上がる」と考え、「高校野球で学校おこし」を呼びかけて回った。

 グラウンドにネットや照明をつけるだけでも数百万円かかる。知人や卒業生から資金を集めた。大阪の少年野球チームや公立中学校にも出向き、選手を勧誘した。十数人が入部し、99年に外国人学校の硬式野球部として全国で初めて日本高野連に加盟した。

 当時は野球経験がない選手もおり、最初は打った後に三塁に走り出す場面もあるほどだった。デビュー戦となった選手権京都大会の初戦の相手は強豪の京都成章。0―34の大敗だった。金さんは「うちは3分で攻撃が終わり、相手の攻撃は30分以上続いた。いつまで試合が続くのかと思った」。

 それでも、全校生徒が応援に駆け付け、スタンドは全力プレーに盛り上がった。「野球に興味のない子も夢中で見ていた。野球は間違いなく学校を盛り上げる」と確信した。

 「魂・オル、感謝・カムサ、感動・カムドン」。2003年の京都大会で、李良剛主将が選手宣誓をした。イラク戦争が開戦して間もないころ。日本語で「感動という喜びは国境・人種・争いを超える」、韓国語で「国境と人種と争いを超え、一つになる高校野球の感動を、ここ京都から築いていきましょう」と呼びかけた。この年に初の8強入りを果たした。

 翌04年に「京都国際」に校名を変更。知名度が上がるにつれ、有力選手も入部するようになった。「火をつけるぞ」「韓国に帰れ」。学校に心ない電話がかかることもあったが、結果で示そうと練習した。

 07年にコーチ、08年に監督に就任した小牧憲継監督は、99年に大敗した相手、京都成章の二塁手だった。「一生懸命なプレーが印象に残っている。そのチームを率いているのは不思議な縁」。自らも寮に住み、選手と生活を共にしてきた。

 京都大会では18年に4強、19年に準優勝。そして今回、悲願の甲子園出場を果たした。現在の全校生徒は136人だ。

 初戦は大会5日目(23日予定)の柴田(宮城)戦。例年は音楽の授業で校歌を練習するが、今年はコロナ禍で歌う機会が少なかった。山口吟太主将は「覚えていない部員もいる。甲子園に向けて練習中です」と話す。

 金さんは「創部時から、つらいこともこの校歌と一緒に乗り越えてきた。OBの思いも詰まっている。試合に勝ち、甲子園で堂々と校歌を歌ってほしい」と願う。当日は、スタンドから声援を送る予定だ。(吉村駿)

京都国際の歩みと京都大会の主な戦績

1999年 硬式野球部創設

    日本高野連へ加盟

    0―34で初戦敗退

2001年 公式戦初勝利

 03年 主将が日本語、韓国語選手宣誓

    ベスト8

 04年 京都国際に校名変更

 08年 小牧憲継監督就任

    申成鉉選手が広島カープからドラフト指名

 18年 ベスト4

 19年 準優勝

 21年 選抜高校野球大会に出場