「相撲か地元か」背中押した父の言葉 天空海の10年

鈴木健輔
[PR]

 怖いほどきれいな星空だった。

 大相撲十両の天空海(あくあ)(30)が3月になると思い出すのは、10年前に故郷から見上げた夜空だ。

 「日本、どうなるのかなあ」

 いつもよりたくさん星が見えた。たぶん、停電で街が暗かったせいだ。東日本大震災の直後だった。

 後の天空海、高畠祐貴は茨城県大洗町に住んでいた。

 すでに立浪部屋に入門していたが、地震が起きたときは、故郷に戻って専門学校の授業を受けていた。

 実家は大洗海岸のすぐそば。眼下に鹿島臨海鉄道が通る高台にあった。津波被害はなかったが「半壊の手前」。電気は止まった。

 井戸水やプロパンガスで暮らしていた、茨城県鉾田市にいる祖母のことが心配になった。

 避難所に指定された体育館を経由して両親と合流。車を走らせ、祖母の元気な姿を確認した。

 翌朝の帰る途中だった。

 反対車線の一部が2メートルほど陥没していた。前夜走ってきた道だが、暗くて見えていなかった。大洗に戻ると、中央分離帯でセルシオが逆さまになり、建物の上に船が乗っかっていた。「鳥肌が立った」

 地震で傷み、後に住めなくなる実家に、震災直後は居ざるを得なかった。

 食べ物は何とかまかなえたし、父が自動車関係の仕事をしていて、手回しのライトがあった。ろうそくもあった。苦労したのは水やトイレだった。

 自動車関係の専門学校を卒業できれば、立浪部屋に戻るはずだった。だが、資格試験が後ろ倒しになり、次の5月の場所前まで地元に残ることになった。

 知人の紹介でがれき撤去を手伝っていると、葛藤が生まれた。

 「ここで地元を離れていいのか。相撲に挑戦していいのか」

 余震におびえ、雨漏りする家で、考え続けた。

 高校までは柔道をしていた。元々、相撲には「全く興味がなかった」。

 名前を知っていた力士は当時の横綱、そして人気だった高見盛くらい。

 高校卒業時に相撲部屋入門を勧められたが、断った。専門学校に進んでも続いた勧誘に折れる形で、選んだ相撲の道だった。

 関取にならないと給料がもらえない力士になるより、ここで働いて、すぐに家族を支えた方がいいかもしれない。でも、相撲を続けようと思った。

 父の言葉があったからだ。

 「俺たちのこと、考えなくていいから。お前が活躍すれば、家族も、親戚も喜んでくれる。大洗の名前も知ってもらえる。頑張りなさい」

 デビュー時のしこ名は「豊乃浪(とよのなみ)」。震災3年後、天空海に改めた。

 「空」と「海」は故郷の風景をイメージした。「あくあ」の読みは、地元の「アクアワールド茨城県大洗水族館」から取った。さらに数年後、「海の近くに住みたい」という両親に海辺の家を贈った。

 この春、「アクアワールド」に、ややこぶりの展示用水槽が設けられた。「天空海関応援水槽」と名付けられた水槽には、3種類の生き物がいる。

 ①しこ名を思わせる「空色」のスズメダイ

 ②「スター」になることを願って星形のヒトデ

 ③背中に「白星」のような斑点があるエビ

 応援してくれる故郷には「ありがたいですね」。昨年11月場所では新入幕も果たした。もっと活躍すれば、大洗町の名がさらに世の中に知れ渡る。

 「『天空海が住んでいた町だ』となればうれしいし。だから、俺は頑張らないと」(鈴木健輔)