人間国宝桂米朝、師との出会い 資料でひもとくその歩み

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落語研究家・小澤紘司
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 戦後、滅びかけていた上方落語を「救世主」としてよみがえらせたのは、人間国宝の故・桂米朝さんでした。命日の3月19日、50年来の親交があった落語研究家・小澤紘司さんが、その道のりを貴重な資料でひもとくコラム「米朝物がたり」を公開します。

東京で見つけた表札

 桂米朝(本名・中川清)さんには2人の師がいます。一人はもちろん、上方落語家の四代目桂米団治。そして、もう一人は作家で寄席文化研究家でもあった正岡容(いるる)です。

 米朝さんが姫路中学を卒業し、東京の大東文化学院で学び始めたのは昭和18(1943)年のことでした。その年の5月に大塚駅近くの喫茶店を出て、偶然に「正岡容」の表札を見つけます。

 格子戸を開けて「ごめん下さい」と案内を乞いました。その日は会えませんでしたが、翌日に再び訪れ、意気投合して門人となったのです。

 正岡の小説「円朝」や寄席随筆は寄席文化への入り口となっていたのみならず、若い読者には人生の指導書ですらあったようです。落語や講談の載る書物をたくさん読んで育った中川青年と、一時は大阪に暮らし上方の演芸にも通じていた正岡の運命の出会いと言えるでしょう。

正岡容のはがきが現存

 終戦を経て、47年に米団治に入門して中川清は桂米朝となりました。まもなく、正岡から大阪在住の落語研究家・渡辺均のもとにあてられたはがきが米朝さん宅に残されていました。

米朝物がたり

後半は、正岡容が渡辺均に託した愛弟子の米朝さんの指導について書かれたはがきの写真、そして米朝さんへの思いを込めた言葉を紹介します。

 「米朝も余り本格を狙ひて藝…

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