小1で被災、野球が支えに 仙台育英主将「宣誓は運命」

近藤咲子
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 19日の開会式で選手宣誓した仙台育英(宮城)の島貫丞(じょう)主将(3年)は、東日本大震災から10年の今、自分が大役を担うことを「運命」と感じて臨んだ。

 午前9時30分。第1日に登場する6校の選手たちが整列する中、島貫主将が歩み出た。前を見据え、言った。「あこがれの舞台である甲子園が戻ってきました」

 震災時は小学1年生だった。通っていた福島市の小学校の教室で、強い揺れに見舞われた。自宅は窓が割れ、壁掛け時計が床に落ちて散乱していた。夜は懐中電灯で過ごし、しばらく食事がのどを通らなくなった。

 東京電力福島第一原発事故で、親から「外で遊んじゃだめ」と言われた。物心ついたときから祖父とキャッチボールをして遊び、憧れて始めた少年ソフトボールチームも活動をやめた。

 放射線のことはよく分からなかったが、なんとなく危ないものと感じた。新聞紙でボールを作り、部屋で遊んで気晴らしをした。約半年後、知り合いが誰一人いない山形県長井市に家族で避難した時は、野球ができるのが支えだった。

 翌春に福島に戻ってからも、「土に触らない」「線量計が鳴ったら離れる」といった家族のルールが幾つもあった。それでも、キャッチボールをしている間だけは、首から下げた線量計のことを忘れられた。

 窮屈な生活。野球道具を触れば気が紛れた。野球ができるということが不安を打ち消す「希望」だった。

 今回、2月23日の抽選会で選手宣誓に決まった。須江航(わたる)監督に相談し、東北各地から集まった仲間と話し合い、内容を練った。背番号が発表された3月11日には、文言は完成していた。

 まずはコロナに触れた。「この1年、それぞれが大切な多くのものを失いました」「しかし、同時に多くのことを学びました」

 そして震災。「10年前、あの日見た光景から想像できないほどの希望の未来に復興が進んでいます」「これからの10年、私たちが新しい日本の力になれるように歩み続けます」

 最後には「2年分の甲子園」と表現した。仲間が、コロナ禍で中止になった昨春の先輩の思いも入れよう、と言ったからだ。「穏やかで鮮やかな春、そして1年となりますように」

 野球があったから、震災を乗り越えられた。きっとコロナも乗り越えられる。そんな希望が伝われば、との思いだった。

 3分13秒。静まりかえった甲子園球場に、希望を語りかけた。

 開会式後の第2試合で接戦を制した。「ここに立てるとは思わなかった。忘れられない一日になった」(近藤咲子)