三島南、鳥取城北に敗れる 常連校相手に終盤まで互角

戸田和敬
[PR]

 【静岡】第93回選抜高校野球大会日本高校野球連盟毎日新聞社主催、朝日新聞社後援)は20日、1回戦3試合を行い、21世紀枠で出場した三島南は鳥取城北(鳥取)と対戦し、2―6で敗れた。終盤まで互角の戦いをみせたが、甲子園初勝利の夢はかなわなかった。

     ◇

 「外角に来た球を逆らわずに打てた」

 2点を追う六回裏一死無塁。前田銀治君(3年)の放った打球は、右翼フェンスを直撃する三塁打になった。甲子園での初ヒットだった。

 「ストレートを打ち返す力に自信がある」。大会前、そう話していた。この打席もストレートを捉えた。序盤は緊張して本来の打撃ができなかったが、「広角に打ついい状態で振れていた。バランスのよいバッティングだった」(稲木恵介監督)と、ようやく自分らしさを取り戻した。

 パワーと長打力は誰もが認める。力の源はウエイトトレーニングと1日4回の食事だ。朝、昼、部活後、そして晩ご飯。たくさん食べて、懸命に体を大きくした。

 「食べることが好きだから苦にならない」。入学時、77キロだった体重は87キロまで増え、打球の飛距離は90メートルから120メートルまで伸びた。

 チームが進めてきたICT(情報通信技術)を駆使した練習も役に立った。昨夏は148キロだったスイングスピードは、現在150キロを超す。目標を見据えて着実に力を伸ばすことができた。甲子園でも力いっぱいバットを振れた。

 「楽しめたかなと思います。応援も自分のバッティングの力に変えることができました」

 初めて立った夢の舞台。常連校を相手に、中盤までは互角の戦いを見せたが課題も見えた。

 「夏に向けて、チャンスで打てるバッターにならなければ」。早くも夏への決意を口にした。(戸田和敬)

      ♢

 「一番、ライト、斎藤君」。広い甲子園にアナウンスが響いた。

 「いいもんだな。うれしかったよ」。一塁側アルプススタンドに駆けつけた斎藤真澄さん(74)は、読み上げられた名前をかみしめた。自らもあこがれた甲子園。その舞台に今、孫の崇晃君が立っている。

 今大会に「21世紀枠」で出場した三島南。真澄さんは57年前の1964年に同校で主将を務めた。前回の東京五輪が開催された年だ。当時は練習で折れた木製バットを持ち帰り、釘を打って修理して使った。帰宅後は毎日200回、バットを振った。

 最後の夏は静岡大会を制した掛川西を相手に先制するも、逆転されて4回戦で敗れた。高校時代のすべてを野球にかけたが、甲子園は遠い夢の舞台だった。

 崇晃君が野球を始めたのは4歳の頃。キャッチボールを教えたのは自分だ。最初は怖がっていた孫が、その後、少年野球チームに入り、どんどん上達するのが誇らしかった。「いつか甲子園で応援できたらな」。たまにキャッチボールをして成長を感じるたびにそう思った。

 「甲子園にいくよ」。今年1月下旬、選抜出場が決まった日の夜に崇晃君から電話で報告を受けた。孫が通う母校は普通の公立校。創部100年の節目の年に春夏通じて初めての甲子園出場となった。「俺たちも行けなかった場所。悔いのないプレーをしてきなさい」と伝えた。

 高校時代の自分と同じ一番打者だ。「とにかく塁に出て、1点を取ることが一番打者の役目だ」。そう教えてきた。

 野球を始めた時から崇晃君の目標は「おじいちゃんを超えること。甲子園に出ることで超えたいと思ってきた。強豪校を相手にもてる力を出し切りたい」。この日は、その祖父が応援する前で二塁打を放ち、一打同点の好機をつくった。試合後、崇晃君は「一本打って、少しは恩返しができたかな」と振り返った。一番打者の責任は果たした。

 「甲子園に出たんだから、もう自分なんて超えています」。あこがれの舞台を駆ける孫の雄姿を見届け、真澄さんは感慨深げに語った。(戸田和敬)