「大大阪」残す港のビル 世代超えてタッグで復活

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染田屋竜太
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 大阪港の近くにある1棟のビルがリニューアルされ、昭和初期の建築当時の美観を取り戻した。完成時にも立ち会った現オーナーの頼みに、ビルを手がけた建築家の息子が応え、大阪が「大大阪」と呼ばれた時代の面影を伝える建物に新たな命を吹き込んだ。

 大阪市港区海岸通1丁目の「天満屋ビル」。鉄筋コンクリート3階建てで、外壁は真新しい装いになった。

 「村上さんに頼んでほんまによかった。きれいになった」。ビルのオーナー、清水融さん(90)が顔をほころばせた。側に立つ建築士の村上晃一さん(88)=神戸市東灘区=は「父が建てたものを直せるなんて幸せです」。

 ビルは1935(昭和10)年、海運業を営んでいた天満屋の店舗兼住宅として建てられた。建設を手がけたのは村上さんの父で、大阪市で工務店を営んでいた徹一(てついち)さんだった。

 ビル完成の記念写真には、祖父のひざに抱かれた幼い清水さんも写っている。「前年(34年)の室戸台風で被害を受けた場所にすごい早さで建って驚いた記憶がある」と清水さん。

 大阪は大正末期~昭和初期、人口で東京を一時上回り、「大大阪」と呼ばれた。大阪港も国内屈指の港として栄え、ビルの前は路面電車が行き交っていた。

 第2次世界大戦中は屋上に米軍が投下した焼夷(しょうい)弾があたったが建物は無事だった。戦後、周囲の埋め立てが進み、1階部分は半地下の構造になった。村上さんの天満屋ビルに関する最初の記憶はこの頃だ。「これを父が建てたのかと見上げました」

 清水さんは大阪を離れて横浜で会社員をしていた。天満屋は64年に吸収合併され、海運業から離れた。ビル建設時に社長だった伯父が亡くなったため清水さんは大阪に戻り、97年ごろにビルの管理を任された。

 村上さんは父から受け継いだ工務店を続けていたが、高齢になり、15年前にたたむことに。その際、天満屋ビルの完成祝いとして父がもらっていた火鉢を「持っていてほしい」と清水さんのもとに持っていった。同じ神戸市の旧制中学校出身との縁もあり、その後も交流が続いた。

 ビルは飲食店や雑貨店が入居し、にぎわっているが、老朽化は進んでいた。「改修をお願いするなら、建ててくれた人の息子以上に適任はいない」と清水さんは考えた。村上さんも「ぜひやらせてほしい」と快諾した。

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