「お利口さん」な生徒たち 臨床心理士が感じた被災の傷

土井良典
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東海の防災を考える

 口数が少なく、おとなしい被災後の中学生たち。スクールカウンセラーとして接した神谷文子さん(46)=大阪府吹田市=は、その「お利口さん」ぶりが気になったという。

 岐阜県臨床心理士会に所属していた神谷さんは、東日本大震災から1カ月半ほどが過ぎた2011年5月初め、宮城県東松島市に派遣された。

 東松島市は市域の約4割が津波で浸水。死者・行方不明者は1130人余りを数え、約5500軒が全壊した。

 支援したのは、市立鳴瀬第二中学校(当時)の子どもたち133人。津波で校舎が被災したため、別の学校に間借りしており、避難所など自宅以外から通う生徒が当初、全体の約7割を占めたという。給食はパンとジャム、牛乳といった簡易食が続くなど、非日常の生活を強いられていた。

 その状況での子どもたちのおとなしさ。神谷さんは「あまりにショックなことを体験したから、緊張状態が長く続いていたと思うんです」と振り返る。

 12年3月まで、毎月1週間ずつ岐阜から鳴瀬第二中に通った。「1年間は、震災が残した心の傷口を広げないことが一番でした」。生徒との会話で震災を話題にするのは避けた。

 表情が沈んで見える生徒には「何やってるの?」「今日は疲れた?」「部活どうだった?」などと声をかけ、「大人は見ているよ」と暗に示した。

 神谷さんは、仕事のため仙台市に単身赴任していた夫のもとに居を移し、12年4月から2年間、今度は宮城県教育委員会に所属して鳴瀬第二中(13年度に鳴瀬未来中に移転統合)の生徒に向き合い続けた。次第に打ち解け、生徒たちも本音をのぞかせるようになった。

 「先生、実はとても苦しいんです」。ある日、ムードメーカーとして明るく振る舞っていた生徒がそう声をかけてきた。

 「その生徒は、家族を失って本心はしんどいのに、震災前の明るいキャラを演じないといけないと思っていたようで、弱っていました」。神谷さんは丁寧に話を聞き、声をかけ続けた。

 中学生は思春期のさなかにあり、大人に頼らずに物事を解決しようとする。被災の体験を一人では抱えきれず、朝起きられなくなったり、先生に反抗しがちになったり、生活態度がだらしなくなったりする子もいたという。

 「『おだづもっこ』だべ(仙台弁で『調子に乗っているんだろう』という意味)」。時がたつにつれ、何が原因で生徒の行動が変わっているのかが見えづらくなり、生徒のわがままと決めつける先生もいたが、神谷さんはこう伝えた。

 「被災のショックや生活の苦しさで、日常をこなすだけで精いっぱいなのかもしれません。うなされたり、仮設住宅で隣の家の声が漏れ聞こえてきたりして眠れない場合もある。子どもは先生の一言で心を閉ざしてしまうことがある。一度立ち止まって、子どもたちの心の裏の奥まで見ていきましょう」

 神谷さんは、生徒や先生を苦しめ、追い詰めていたものの一つに、「強くあれ」「乗り越えないといけない」「大変なのは私だけじゃない」といった感情や自責の念のようなものがあった、と考えている。

 「根性論が根強いからか、日本人は弱さを見せることが苦手な人が多い。でも、人間なので悲しみや後悔、怒りなどの感情も当然ある。どのような感情でも否定したり、ないことにしたりせず、つきあい方を見つけることで、自然と前向きになっていくと思うんです」

 心理ケアの重要性は、愛知県のスクールカウンセラー広藤(ひろふじ)稚子(わかこ)さん(46)=同県瀬戸市=も被災地で実感したという。

 広藤さんは11年6月、宮城県石巻市に2週間派遣され、内陸部にある小学校4校で児童のカウンセリングをした。沿岸部からの避難者を受け入れてはいたが、津波被害を直接受けていない地域だった。子どもたちは「引け目」のようなものを感じているように見えたという。

 「地震の怖さはあり、余震が起きるたびに子どもたちの表情は曇っていたが、沿岸はもっと大変な思いをしているんだから、我慢しないといけないんだという空気を感じました」

 ある日、児童たちが水道の蛇口のそばで、「津波に流された―」「避難しないと」「助けろ」などと言いながら、遊んでいる光景を目にした。

 「一見すれば不謹慎な遊び。でも、子どもたちなりに震災の特殊な状況や、津波を体験していない現実を、のみこもうとしていたのかもしれません」

 広藤さんは言う。「震災では津波や地震が人々の心に、目に見えない爪痕を残しました。それでも日本全体で心の健康やケアの大切さが、十分理解されていないように感じるんです。心をととのえる方法や、心の不調との向き合い方を学校教育のカリキュラムに位置づけ、学ばせていくことが必要ではないでしょうか」(土井良典)