食への執着と窃盗症「狂っていった」 元陸上代表の告白

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聞き手 編集委員・中小路徹
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 「私は裁判官から、外で治療しながら生きていくチャンスをいただきました。摂食障害問題が良い解決となるよう、精いっぱいお力添えさせていただきます」

 2018年に万引きの再犯で執行猶予付きの有罪判決を受けた女子マラソン元日本代表の原裕美子さん(39)は、取材依頼をそう快諾してくれた。現役時代から患ってきた過食・嘔吐(おうと)の摂食障害と窃盗症の治療を続け、最近、自著「私が欲しかったもの」(双葉社)を出版した。

 今年2月、朝日新聞は陸上長距離の強豪大学で、体重管理の厳しさから過食・嘔吐の摂食障害に苦しむ女子部員が続出していた実情を報じた。

 この記事を受け、原さんは語ってくれた。自らの壮絶な体験と、スポーツ界で摂食障害をどうなくしていけるかを。

 ――記事にどんな印象を受けましたか。

 「自分も同じでした。夜、寮を抜け出すことも、安くて量が多く、吐きやすい食べ物を買うことも。高校卒業後に入社した京セラ時代、私は監督やコーチに監視されていたに等しく、いかに見つからないで抜け出すかを考えていました。歯の治療などの外出時には必ず買い出しをしました。遅くなると問い詰められるので、速攻で目に付いたものを買う。スーパーには値引きの時間を狙って行きました」

 ――体重管理はそんなに厳しかったのですか。

 「中学時代は体を作る大切な時期だからと体重管理はありませんでした。高校時代は、自分が一番良い走りができる44キロ(身長163センチ)が目標でしたが、食べて走る指導でした。それが京セラでマラソンを走るようになると、42、43キロでないと重いと言われ、1日4~6回ある体重測定の間の増え幅も制限されました。社員食堂での昼食も、最初は定食だったのが、うどんやそばに。それも半玉だけ。社員の方たちが食べるパスタやサンドイッチを見ているだけで、舌が手になっているような感じで、『食べたい、食べたい』と。あまりにも厳しく食事制限され、自分のスイッチが狂っていきました」

 ――過食・嘔吐はどのように始まったのですか。

 「社会人1年目です。水ですら我慢していて、炭酸飲料を一口のつもりが1リットル飲んでしまって。そのまま風呂に入って吐いてしまい、結果的に体重も減ったことがきっかけです。『食べたら吐けばいいんだ』と。初めは体重を増やさず、怒られないためでした。職場でも水やお茶を我慢していたのですが、どうしても我慢できない時は、自販機で買い込んだ飲み物を一気飲みして、トイレで吐くということをやっていました」

 「ところが、それによって体重が落ちて走れるようになると、今度は吐かずにはいられない。食べ吐き(過食・嘔吐)は気持ちをコントロールするための行為に変わっていきました。吐くことをやめると、練習中に食べ物が胃から上がってくるような気持ち悪さもありました」

 ――当時、摂食障害だと認識はあったのですか。

 「そういう認識はなく、『自分は何とダメな人間だろう』と思っていました。練習は心臓が破裂するのではというくらい追い込んでも我慢できた。だからこそ、食べ吐きが我慢できない自分をマイナスにしか考えられず、実際には治療が必要な病気だとは感じませんでした」

 ――栄養を体内に取り込めないので、けがの多さにつながったのですね。

 「それに気づいたのは引退前です。もう遅くて、けがも全然治らず、走れない状況になっていました」

 ――自著で万引きに初めて手を染めたのは07年だった、と明かしています。大阪での世界選手権に出た年です。その後、7度の逮捕。万引きと過食・嘔吐はどうつながるのですか。

 「私の場合は食べ物への執着心がものすごく、大量に買うことが恥ずかしいと思うようになった。一度とったら、『あ、とれるんだ』と思いました。吐く物にお金を使うのがもったいないと思うこともありました。食べては吐く行為が頭の中をおかしくしていくんです。自分でコントロールできた時もあったのですが、結局、万引きもやめられなくなってしまいました。心の病気は虫歯と一緒で、我慢して治るものではない。初期段階で気づいて食い止められれば、最悪の事態は免れると思います」

 ――陸上の中長距離種目は、体重が軽ければ記録は上がる。どうすれば体重管理と健康のバランスはとれますか。

 「体重だけを量るのではなく…

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