「幻の代表」、リレーで五輪舞台へ 森発言で辞退者も

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編集委員・中小路徹
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 41年の時を経て、この東京オリンピック(五輪)に様々な思いを巡らすのは、政治的な理由で日本がボイコットした1980年モスクワ五輪の「幻の日本代表」の人々だ。

 そのなかには、3月25日から7月23日の開会式当日まで続く聖火リレーで走者となり、ようやく五輪の舞台に立つ人たちがいる。そして、一度は走ると決めたものの、辞退を選んだ人も――。

 「五輪に未練はない。でも、なんかひっかかりがあるのです」

 そう話すのは、7月22日に東京都で走る予定となっている立正大駅伝監督の中村孝生さん(63)だ。

 陸上男子5千メートルの幻の代表である。

 日本オリンピック委員会(JOC)がモスクワ五輪不参加を決めたのは、中村さんがエスビー食品に入社して間もない5月24日。東西冷戦の時代だった。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する米国がボイコットを表明し、西側諸国に同調を訴えた。JOCも日本政府の圧力を受け、苦渋の決断をした。

 「まだ22歳だったし、4年後もあると割り切っていました」

 しかし、84年ロサンゼルス五輪には出られなかった。その後、エスビー食品の陸上競技部長などを務め、2019年から立正大を率いている。

 「幻であっても、五輪代表という経歴があることで、笑顔で陸上に携われました」という。80年当時、JOCが「選手団の栄誉を記録に残す」という理由から、不参加でも五輪代表に認定したことに感謝しているという。

 「ただ……」

 41年間、のどにつかえ続けたものがあった。「人に説明する時など、いつも『参加はしていないけど』という注釈をつけなければいけない。それがひっかかりでした。今回、五輪に関わることで、そういうものに終止符を打ちたいと思っています」

 モスクワ五輪では、晴れ舞台を奪われた選手が18競技で178人いた。今大会の組織委員会は、モスクワ以外の五輪にも出られなかった人のうち、聖火リレー走者になることを希望した人を各都道府県でリストに加えた。東京都では、中村さんら10人前後がグループで走ることになっている。

 ただ、JOCの決断によってひのき舞台を奪われた41年前とうってかわり、自らの意思で、東京都のグループランナーを辞退した人もいる。

 「もう走りたくなくなりました」

 モスクワ五輪でフェンシング

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