撤退部門の日立部長、18年かけ見つけたシアワセの測定

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小出大貴
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 事業を移す先の新会社で働くか、いまの会社に残るか――。

 日立製作所で半導体の研究開発部長だった矢野和男は、50人の部下たちに二者択一を迫っていた。平成不況の陰りが残っていた2002年秋のことだ。

 日立と三菱電機が半導体事業を切り出してつくる「ルネサステクノロジ」の設立を半年後に控え、矢野も迷い、苦渋の時を過ごしていた。

 部下たちの半数以上は新会社に移ったが、矢野自身は半導体なき日立に残った。当時40代、管理職の身で「リタイアには早いけど新しいことをするにはもう遅い、みたいなね。残るという道しかなかった」。

 1984年に入社し、半導体一筋だった。80年代、日本の技術は世界を席巻した。だが、政府と企業が手を結んだ米国の猛反撃に遭い、日本企業は次第に競争力を失っていく。打開策の一つが「日の丸半導体」のルネサスの発足だった。「技術にはまだ自信があるのに。何でだよ」。撤退という会社の決断に怒りと悔しさが沸いた。

 日立に残った矢野は、十数人の同僚と議論を重ねた。みな研究分野を奪われ、社内で「傍流」となった気分だった。

 携帯電話が爆発的に普及した時期だった。コンピューターが生活に深く入り込み、多くのものが「数値」によってデータ化され、解析される。何に使われるのかはわからないが、矢野たちは思った。「ひとのデータが資産になる」

 実験の題材には自分自身を選…

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