「平成の三四郎」古賀稔彦さん死去 53歳バルセロナ金

 1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級金メダリストで、切れ味鋭い一本背負いで「平成の三四郎」と呼ばれた古賀稔彦(こが・としひこ)さんが亡くなったことが24日、関係者への取材で分かった。53歳だった。

 佐賀県出身。小学校を卒業すると、有望株が集まる東京の柔道私塾「講道学舎」に入門した。世田谷学園高から日体大に進学し、18歳ながら嘉納杯国際大会で優勝。金メダル確実という前評判だった88年ソウル五輪は3回戦で敗退したが、日本選手団の主将に起用されたバルセロナ五輪では大会直前の練習で左ひざの靱帯(じんたい)を痛め、肩を借りないと歩けない状態ながら金メダルを獲得。96年アトランタ五輪は78キロ級で銀メダルだった。

 世界選手権は89、91年で連覇を達成。90年には体重無差別で日本一を争う全日本選手権で大型選手を次々に撃破。決勝で重量級の第一人者だった小川直也に敗れはしたが、その奮闘は大きな話題になった。

 2000年の現役引退後は指導者の道に。全日本女子強化コーチとして、04年アテネ五輪では女子63キロ級の谷本歩実を金メダルに導いた。柔道の普及や人材育成にも尽力し、川崎市に町道場「古賀塾」を開設。「人の役に立つ柔道家を育てたい」と後進を育てた。

 07年には岡山県の環太平洋大体育学部の教授に就任し、女子柔道部の総監督も務めた。柔道の指導法に医学的な視点を採り入れたいと、40歳で弘前大学大学院にも合格。医学博士号を取得した。