田中将大の素顔、米国でも支えた広報が語る 「誠実で」

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室田賢
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 大リーグヤンキースから8年ぶりに東北楽天ゴールデンイーグルスに復帰した田中将大投手(32)を、2007年のプロ入りから、そばで支えてきた人がいる。7年前には田中将とともに渡米し、今年は一緒に古巣へ戻ってきた。

 佐藤芳記(よしき)さん(43)。07年3月、球団広報として楽天に入り、田中将とは、いわゆる「同期」だ。

 前職はサッカー専門誌で、海外サッカーの編集を担当していた。高校球児だったことから「チャンスがあれば野球の仕事に携わりたいと考えていた」。偶然、楽天の広報募集を見つけて応募し、運命が変わった。

質問の意図をくむ力

 初めて会ったときの「マー君」は18歳だった。甲子園で活躍したスターとして新聞やテレビに取り上げられた経験から、プロ入り後も、メディアの質問に堂々と答えていた姿をはっきりと覚えている。

 「すごくしっかりしていた。その質問の意図をくみ、明確に答えるというのはすごいなと思いました」

 球団広報の仕事の一つに取材対応がある。段取りを決めたり、会見を仕切ったりし、記者とのやりとりを近くで見守ってきた。「当時から僕自身も勉強になった答えがあった」

 いつしか、年齢が一回りほど離れた青年にひかれていった。無傷のシーズン24連勝で日本一に貢献した後、田中将は14年、7年契約の年俸総額1億5500万ドル(当時で約161億円)で大リーグに挑戦。佐藤さんは「少しでも力になりたい」。専属のサポート役としてニューヨークへ飛んだ。

「違う環境に来たのだから…」

 ただ、米国での仕事は想像以上に大変だった。

 クラブハウスに記者が入れるのが大リーグの特徴の一つ。入団1年目の春季キャンプヤンキースの職員になった佐藤さんは、辛口で有名な地元メディアにも慣れない英語に身ぶり手ぶりを加えて、取材の段取りを説明した。ヤンキースの選手が田中将のことを聞きにくることもあった。さらに大勢の日本メディアへの対応――。

 「正直、いっぱいいっぱいでした」。日常生活すら慣れていない時期で、気は張ったまま。精神的に追い込まれた。そんなときに救われたのが、田中将の言葉だった。

 練習後の取材で日米の変化へ…

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