古賀稔彦さんは「言うことなか息子」 気丈に語った母

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大野博

 1992年バルセロナ・オリンピック(五輪)の柔道男子71キロ級金メダリストで、切れ味鋭い一本背負いで「平成の三四郎」と呼ばれた古賀稔彦(こが・としひこ)さんが24日、がんのため死去した。53歳だった。通夜は28日午後6時、葬儀は29日正午から。会場は非公表。喪主は妻早苗さん。

 福岡県で生まれ、佐賀県で育った。小学校を卒業後、有望株が集まる柔道私塾「講道学舎」に入門した。日体大1年で嘉納杯国際大会を優勝。卒業論文のテーマは自身の得意技を取りあげ、「背負い投げの魅力を探る」だった。

 金メダルを期待された88年ソウル五輪は3回戦で敗退したが、日本選手団の主将に起用されたバルセロナ五輪では、大会直前の練習で左ひざに大けがを負いながらも金メダルを獲得。全日本のコーチとして現地で見ていた山下泰裕全日本柔道連盟会長は「奇跡が起きたと思いました。心技体の全てにおいて突出していましたが、中でも心が非常に大きな選手でした」と悼んだ。

 96年アトランタ五輪でも78キロ級で銀メダルを獲得。世界選手権は3度制覇した。体重無差別で日本一を争う全日本選手権にも挑戦し、90年大会で大型選手を次々に破って準優勝した。

 2000年の現役引退後は指導者になり、04年アテネ五輪では全日本女子強化コーチとして女子63キロ級の谷本歩実(39)を金メダルに導いた。川崎市に町道場「古賀塾」を開設し、柔道の普及や人材育成にも尽力した。

 ともに講道学舎で柔道を磨いたバルセロナ五輪男子78キロ級金メダルの吉田秀彦さん(51)は「最後まで奇跡を信じていましたが、かないませんでした。古賀先輩は柔道が弱かった私を付き人に指名してくれました。技術的にも精神的にも強くなれました」としのんだ。

「気配りが利くあの子らしい最期」

 24日に亡くなった古賀稔彦さんは、小学生時代を現在の佐賀県みやき町で過ごした。5月には東京五輪パラリンピック聖火リレーのランナーとして町内を走る予定だった。

 町内に住む母の愛子さん(7…

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