聖火リレー「思い描いたものと違うけど」 福島の走者は

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古庄暢 福地慶太郎 長屋護 佐々木達也
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 東京オリンピック(五輪)の聖火リレーが25日、福島県のスポーツ施設「Jヴィレッジ」(楢葉町、広野町)から始まった。延期が決まってから1年。新型コロナウイルスへの不安は消えないが、人々の希望とともに、ランナーが被災地から東京に向かって走り始めた。

復興に携わりたいと町職員に

 東京電力福島第一原発事故で、いまだ全ての町民が避難生活を送る双葉町。町職員の井戸川俊さん(26)は「復興に向けて全力で進んできた10年。町の現状を多くの人たちに知ってもらいたい」との思いを込めて故郷を走る。

 10年前の事故の時は高校1年生。家族4人で町から西に約100キロ離れた内陸部の会津若松市に避難したが、町への思いを持ち続けた。大学で行政学を学んだ後、復興に携わりたいと4年前に町職員になった。

 役場では昨春に避難指示が解除されたJR双葉駅周辺の町づくりに関わり、真新しい駅舎が完成した。しかし、周囲には更地になった宅地やシャッターが閉じたままの商店など無人の町が広がり、復興の難しさも肌で感じてきた。

 「復興五輪」で国内外から多くの人が町を訪れると期待していた。コロナ禍で密を避けたリレーの観覧が呼びかけられ、「思い描いたものとは違ってしまった」と肩を落とすが、町の現状を知ってほしい気持ちは変わらない。

 「復興への新たなスタートを切るという思いを込めて笑顔で走りたい」(古庄暢)

五輪決定後、福島で教壇に

 いわき市の小学校教諭、小野久美子さん(54)はかつて勤務した南相馬市で走る。新型コロナの影響で、子どもたちは給食の時も友達と話せないなど我慢を強いられている。「私が走る姿を見て、少しでも元気になってもらえたら」

 震災時はいわき市の臨時教員で、正規の教員を目指していた。しかし、原発事故による避難で子どもが減り、その年の採用試験は中止に。先が見通せず、親戚が住む東京都の試験を受け、震災の翌年から5年間、都内の学校で働いた。

 充実した教員生活だったが、「福島を離れた」という思いが消えなかった。2013年に「復興五輪」を掲げた東京五輪の開催が決まると、「福島の子どもたちの力になりたい」と福島県の試験を受け直した。

 2年前まで勤務した南相馬市の小学校では、震災直前に生まれた1年生を受け持った。自然にお礼を言えて、忘れ物をした子を進んで助ける姿を見て、「大変な時期に育ったからこそ、たくさんの愛情を受けてきた」と感じている。今後も地元で子どもたちを支え続けるつもりだ。福地慶太郎

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