あの日から76年、忘れない姉の声 沖縄・座間味で慰霊

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木村司
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 太平洋戦争末期、沖縄で地上戦が始まって26日で76年を迎えた。米軍の最初の上陸地の一つで、「集団自決」などで多数の犠牲者が出た慶良間(けらま)諸島の座間味(ざまみ)村は、この日を「慰霊の日」としており、村民に黙禱(もくとう)を呼びかけた。

 戦没者約1200人をまつる「平和之塔」(座間味島)では、コロナ禍で昨年中止となった5年に1度の村主催の慰霊祭が、参列者を宮里哲村長ら6人に限っていとなまれた。

 「集団自決」を目の当たりにした祖母や父から体験を聞かされてきたという宮里村長は「引き続き、戦争の愚かさ、平和の尊さ、命の大切さを発信するとともに、平和のバトンを次の世代に渡せるよう取り組んでまいります」とあいさつした。慰霊祭に続き、2時間限定で献花台がもうけられた平和之塔には、お菓子や泡盛を手にした住民が代わる代わる訪れ、犠牲者を悼んだ。

 慶良間諸島を攻撃した米軍は4月1日に沖縄本島に上陸。地上戦は約3カ月におよび、日米あわせて20万人余りが亡くなった。沖縄県史によると、慶良間諸島の座間味、慶留間(げるま)、渡嘉敷の3島では3月末の数日間で、捕虜になるなという日本軍の教えなどを背景として500人以上が「集団自決」に追い込まれた。

 53人が「集団自決」で亡くなったとされる慶留間島で生き残った中村武次郎さん(90)は、当時14歳。米軍が迫り一緒に山中に逃げた四つ上の姉・清子さんが母に「早く(首を)絞めて」と懇願した声が忘れられないという。

 母はどこからか、ひもをみつ…

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