震災を詠み続けるべき 東北ゆかりの歌人たちの決意とは

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佐々波幸子

拡大する写真・図版化女沼(けじょぬま)のほとりに立つ梶原さい子さん=宮城県大崎市、本人提供

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 東北ゆかりの歌人たちが、東日本大震災の発生直後から詠み続けてきた歌を『3653日目 〈塔短歌会・東北〉震災詠の記録』(出版社・荒(あら)蝦夷(えみし)、税込み2970円)にまとめた。24人の歌人による1273首の短歌やエッセーのほか、率直に胸の内を語り合った座談会や鼎談(ていだん)も収めている。

 手がけたのは短歌結社「塔短歌会」に所属する東北在住、出身の歌人たち。もともと仙台で隔月に歌会を開いてきた仲間同士で、震災の3カ月後、秋田で開いた歌会の記録を「99日目」と題して冊子にまとめたことがきっかけとなった。それ以降、震災から9年の「3299日目」まで日数をタイトルに据え、震災詠の記録として毎年冊子を刊行してきた。今回はそのうち震災から8年の「2933日目」までを一冊にまとめた。

 まとめ役を担った歌人の梶原さい子さん(50)によれば、24人の歌人たちの住まいは宮城、福島、秋田、山形、青森、東京、神奈川などばらばらで、年齢も20代から80代までと幅広い。ボランティアで関わった縁で参加している人もいる。震災直後は「短歌なんか詠んでいていいのか」という後ろめたさがあり、その後も「あまり被害を受けていない私に歌を詠む資格があるのか」といった葛藤があったという。一度だけ参加した人もいれば、「私は詠(うた)えない」と話していた人が少し休んで戻ってきたこともあった。「5年目ぐらいから、そのときどきの正直な自分を出していくしかない、と覚悟が定まってきた」と振り返る。

 梶原さんは宮城県大崎市在住で、家族は無事だったが、気仙沼の実家が津波に襲われた。震災後に初めて歌を詠んだのは、3月18日の夜。懐中電灯のあかりの中でペンをとった。「書き始めるまでは少し怖かったけれど、言葉がぱーっと出てきた。五七五七七という型があったから、最初の一言が出せたと思う。書き終えて、気持ちが少し整理できた」

 震災の3カ月目には「負けた…

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