亡き友よ「忘れるものか」 気仙沼の高校生が防災士に

星乃勇介
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 10年前の3月11日。津波が幼なじみの親友を奪った。「大切な人を2度と災害で亡くしたくない」。そう思い続けた宮城県気仙沼市の高校生が、地域防災の要となる防災士になった。今後、あの日を知らない子どもたちに震災を知ってもらい、備えて、逃げる大切さを伝えていこうと心に決めている。

 防災士になったのは県立気仙沼高校2年、三浦向陽(ひなた)さん(17)。市の中心部から南へ約11キロ、海に面した大谷地区の生まれだ。

 震災当時は大谷小の1年生。熱があり、こたつで寝ていた時、いきなり揺れが大きくなった。テレビは停電で消え、祖父や祖母はパニックになった。

 通りかかった車の運転手が「大津波警報さ出でっぞ」と叫んだ。父(57)は幼稚園の妹(15)を連れ戻しに、外へ飛び出していった。三浦さんは「早く帰ってきて」と思いながら、外でずっと待っていた。

 高台の公民館に避難して間もなく、そばの大谷小の校庭に津波が流れ込んできた。川を津波がさかのぼり、竹が「バキバキ」と折れていく。車でさらに高台へ逃げた。後ろを振り向くと波に乗って漁船が追いかけて来ていた。

 家族は全員無事だったが、海岸から約100メートルの木造2階建ての自宅は基礎しか残らなかった。学習机を買ってもらったばかり。テレビも新しくしたばかりだった。

 しばらく経って、クラスメートが行方不明になっていると知った。幼稚園の時からの親友の男の子だった。クラスの人気者で福神漬けが大好き。遊具や鬼ごっこで一緒によく遊んだ。

 どこかで生きていると思っていたが、いつしか教室の親友の机に遺影と花が置かれた。毎年3月11日には親友宅に行き、両親と話をする。「忘れるものか」と自分に言い聞かせた。

 「防災士」は、高校生になってから知った。防災知識と技能を備え、NPO法人「日本防災士機構」が認証する民間資格だ。全国で20万人以上いる。「災害から地域住民の命を守る存在」と聞き、心が動いた。

 自分も津波の知識がなかった。本来、地震直後に一人でも逃げるべきだったのに、父が帰るまで家で待っていた。一人で下校中だったら危なかった。「身近な人を亡くすのはもうたくさんだ」と決意した。

 昨秋、気仙沼市が開いた2日間の養成講座を、高校生でただ一人受講した。テキストは分厚く、しかも学校の定期試験と同時期。苦労したが合格し、このほど認証状が届いた。

 震災から10年。危機意識の薄れを感じる。自分ですら、地震が起きても「3・11と比べて小さい」と思うと気が緩む。2月の福島沖地震の時、逃げる準備をしたクラスメートもいれば、寝てしまった人もいた。

 目指すは「災害死ゼロのまち」だ。本当なら、一緒に時を過ごし、笑い合うはずだった、親友の面影が背中を押す。

 地域の防災訓練の運営や、SNSを活用して同世代の防災意識を高めたい。わかりやすい方法で、避難経路の確保や食料の備蓄を訴えていきたい――。防災士として、その使命と責任を感じている。(星乃勇介)