事故死のいとこの名、グラブに刻み登板 創平に伝えたい

寿柳聡、浅沼愛
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(1日、選抜高校野球 東海大相模3-2明豊)

 決勝を戦った明豊(大分)の京本真投手(3年)のグラブには、「創平と共に」という言葉が刺繡(ししゅう)されている。幼い頃毎日のように一緒に過ごし、キャッチボールし、甲子園に導いてくれた「兄ちゃん」の名だ。亡きいとこへの思いを胸にマウンドに上がった。

 1日の東海大相模(神奈川)戦、八回から登板した。九回1死満塁のピンチ。左手からグラブを外し、刺繡に目をやった。「力を貸して」

 京本投手は大阪府出身。幼い頃、同じマンションの別棟にいとこの難波創平さんが住んでいた。4学年上の創平さんと一緒に遊び、晩ご飯を食べ、互いの家に泊まった。京本投手の母の有紀さん(47)は「思いやりがあって優しい兄のような存在だった」と言う。

 創平さんは野球チームで捕手でキャプテンだった。あこがれて小学生から野球を始めると、キャッチボールをしてくれた。

 中学生になった頃、結果が出ず悩んだ。そんな時、試合に来てほめてくれた。「次も頑張ろう」と思えた。「創平がいなかったら野球を続けられなかった」

 2019年1月16日。明豊の推薦試験を終えた帰りの空港で、電話を受けた。創平さんがバイクで大学に向かう途中、トラックにはねられたという知らせだった。大阪に戻る飛行機の中で「早く降ろして」と言った。病院に直行したが、意識は戻らず、翌日に息を引き取った。19歳だった。

 この年の初め、子どもの頃のように2人でキャッチボールしていた。「明豊に入ってもただ甲子園に行くんじゃなく、背番号をもらって行くんだぞ」と言う創平さんに、約束した。「必ず甲子園でプレーする」

 創平さんはアルバイトでお金をためていた。父の宏延さん(46)は息子の死後、そのお金でグラブを作って京本投手に贈った。「あの子ならそうしているかなって」。グラブには刺繡を入れた。

 京本投手は新チームで背番号1を手にした。試合では刺繡入りのグラブを使い、右ポケットには創平さんの遺骨を入れた。

 選抜出場を決めると、宏延さんにLINE(ライン)を送った。「選抜甲子園で必ず優勝して、プロ野球選手になる。創平兄ちゃんとも約束しているから」

 迎えたこの日の決勝。同点の場面で懸命に腕を振ったが、最後に打たれた。

 宏延さんはアルプス席で、息子の写真をそばに置いて見守った。「創平も『ようやった』と言うと思う。また一回り大きくなって夏に戻ってきてほしい」。京本投手の目に涙はなかった。「最後は自分との戦いだった。そこで勝てるようにしっかり体を作り、夏は日本一取ります、と創平に伝えたい」(寿柳聡、浅沼愛)