LINEのビデオ通話の画面に映る母は、いつも病室にいた。話しかけてくるのは台湾の言葉で、意味はわからない。でも、何度も自分の名前を呼びかけてくれていたのは、わかった。
「ひろあきー、ひろあきー」
三重県名張市に住んでいた弘明さん(23)は2019年の暮れ、台湾にいる母が危篤だという知らせを受けた。翌20年3月に乳がんで亡くなるまで数回、LINEで話した。
ほんとうは台湾に会いに行きたかった。
会って、みとりたかった。
でも、海を渡ることは許されなかった。新型コロナウイルスのせいではない。
弘明さんは2歳の時から、どこの国のパスポートも持てない「無国籍」だったからだ。
母はかつて日本で暮らしていた。弘明さんを身ごもった後、実の父親ではない日本人男性と結婚した。日本の役所に出生届が出され、弘明さんは日本国籍を取得した。
しかし、母は病気がちで子育てが難しく、生後1カ月で乳児院に預けられた。2歳からは名張市の児童養護施設「名張養護学園」で育てられた。
■法務局の冷たい一言…