理不尽なお 和歌山の記者が3・11の被災地を取材して

滝沢貴大
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 東日本大震災から10年が過ぎた。その節目の年に、初めて福島県で被災者の取材をした。被災者から話を聞き、復興が道半ばであるということ、震災と東京電力福島第一原発の事故によって「日常」が一瞬にして失われたことの残酷さを実感した。

 私が話を聞いたのは、原発事故を受け、故郷の福島県双葉郡を追われた4人。和歌山から来た縁もゆかりもない私のことを、4人とその家族は温かく受け入れてくれた。このうちの2人のことを紹介したい。

 葛尾村出身の理容師、松本貢一さん(51)は、祖父の代から営む理容店を継ぎ、まもなく長男が生まれるというときに震災と原発事故に襲われた。津波で知人を亡くす経験もした。今でも3月11日になるとPTSDのような症状に襲われるという。

 松本さんにとっての希望は2人の子どもだ。避難と出産が重なり苦労したが、「元気に生まれてきた。幸せです。今でも愛情をたくさん注いで育てています」と目を細める。一方、「震災が過疎を加速させた。午後5時を過ぎると、車も人も通らない」と嘆く。「生きているうちに元の双葉郡に戻ることはないとわかってしまう」と寂しげな表情を浮かべていた。

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 大熊町の吉田広さん(65)は2019年に避難先の郡山市から町へ帰ったものの、郡山市へ戻ることを検討していた。「町役場を始め、新しい建物はできたが、これを復興と言えるだろうか」。高齢の母親と2人暮らしだが、町の診療所は週1日しか開いていない。除染も部分的にしか進んでおらず、元の家には住めない。「本当の復興は、住民が前と同じ生活ができるようになることだと思う。行政への失望は大きい」

 取材を通して痛感したのは、被災者として10年を過ごす彼らも、原発事故が起きるまではごく当たり前の日常を送っていたということ。突然故郷を追われ、今なお心を痛めているということの理不尽さだ。

 「10年」は数字上の区切りでしかない。今後も被災地へ関心を向け続けることが重要だと感じた。同時に、いつ起きるかわからない災害の被害を少しでも減らすため、警鐘を鳴らす記事を書いていこうと胸に刻んだ。(滝沢貴大)