「和」の心を世界へ 聖徳太子1400回忌

岡田匠
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 飛鳥時代に仏教を中心とした国造りを進め、和の精神を説いた聖徳太子(厩戸皇子(うまやどのおうじ)、574~622)の1400回忌法要が3日、奈良の世界遺産法隆寺で始まった。100年に1度の大法要で、新型コロナウイルス感染対策が取られるなか、約450人の招待者らがマスク姿で参列した。太子ゆかりの寺の僧侶らが集まり、お経を唱えて太子をたたえた。5日まで。

 五重塔や金堂などに儀式用の旗「幡(ばん)」が飾られ、境内は華やかな雰囲気に包まれた。午後0時半、法隆寺住職の古谷正覚(しょうかく)管長ら約120人の行列が東院伽藍(がらん)を出発。7歳の太子の姿と伝わる太子七歳像と、「南無仏」と唱えた2歳の太子の手のひらからこぼれ落ちた釈迦(しゃか)の遺骨と伝わる南無仏舎利(なむぶっしゃり)を御輿(みこし)に乗せ、大講堂へ運んだ。

 この七歳像と南無仏舎利を本尊として仰ぎ、大講堂の前で法要が始まった。古谷管長が太子の功績を振り返り、世界平和や国家安穏、疫病退散を願う表白(ひょうはく)を読みあげた。法隆寺をはじめ中宮寺(奈良県斑鳩町)や斑鳩寺(兵庫県太子町)など太子ゆかりの寺の僧侶ら17人が読経し、四天王寺大阪市)の僧侶が太子の遺徳をたたえる「慶讃文(けいさんもん)」を唱えた。舞台の脇には源頼朝の寄進と伝わる大太鼓が置かれ、雅楽団体の南都楽所(がくそ)が舞台で舞楽を奉納した。

 古谷管長は取材に「太子が願ったのは世の中の平和。疫病や争いが絶えない今こそ、太子の和の心を伝えたい」と話した。

 「日本仏教の祖」とも呼ばれる太子の生涯は諸説ある。蘇我馬子とともに推古天皇を支えながら十七条憲法を定め、法隆寺をたてた。622年2月22日に亡くなったとされる。その後、太子を観音の化身と仰ぐ太子信仰が広まり、さまざまな伝承が生まれた。

 法隆寺では毎年3月に命日の法要「お会式(えしき)」を営み、10年に1度、大講堂の前に舞台を設けて大きな法要をしているが、100年に1度は特に大規模な法要となる。100年前の大正時代の1300回忌は、新しい1万円札の顔となる実業家の渋沢栄一が尽力し、国を挙げての法要だった。

 今回は新型コロナ対策として、招待者の席の間隔を空け、参拝者の状況によっては西院伽藍への入場を制限する。感染拡大を防ぐ目的で朝日新聞デジタルが協力し、法要の様子を専用ページでライブ配信した。4、5日も朝日新聞デジタルでライブ配信する。両日とも同様に法要を営み、5日は法要を終えたあと行列をくみ、東院伽藍に太子像などを戻す。(岡田匠)