五輪で結束、その後 サラエボと英国のはかなさと希望

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日曜に想う 国末憲人ヨーロッパ総局長

 この冬訪ねたバルカン半島の小国ボスニア・ヘルツェゴビナで、思いがけず五輪の持つ意味を考えさせられた。

 首都サラエボの住宅街を車で走っていると、そびえ立つ煙突状の塔が目に入った。頂上に色あせた五輪マーク。その下に市内のマクドナルド店舗を宣伝する黄色い「M」の字。実は聖火台の名残なのだと聞いて、この街でかつて冬季五輪が開かれたことを思い出した。

 サラエボ市中央区長のスルジャン・マンディッチさん(48)が振り返る。

 「当時は12歳足らずでしたが、鮮明に覚えていますよ」

 冷戦さなかの1984年、社会主義圏初となる冬季大会は、東西の緊張緩和への期待を集めた。ユーゴスラビア(当時)の地方都市に過ぎなかったサラエボの市民は、給与の0・5%ずつを持ち寄って競技場の整備に充てた。マンディッチさんの両親も、その運動に加わった。

 「この小さな街に、ハリウッ…

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