疫病禍 聖徳太子に祈る 法隆寺で1400回忌法要

岡田匠、上田真美
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 聖徳太子の功徳をたたえる100年に1度の大法要が3日に法隆寺奈良県斑鳩町)で始まり、1400回忌となる今回は新型コロナウイルスの早期終息も願った。僧侶や参拝者はマスク姿で参列し、「日本仏教の祖」の太子を仰ぎ、祈った。

 午後0時半すぎ、夢殿にまつる太子の等身大と伝わる救世(くせ)観音像(飛鳥時代、国宝)の前で、法要の始まりを告げるお経が響いた。その後、古谷正覚(しょうかく)管長ら約120人の行列が大講堂に向けて出発した。

 行列には雅楽や獅子、僧侶らが続いた。なかでも2基の御輿(こし)に乗せたのは、法要の本尊となる太子七歳像と南無仏舎利。7歳の太子の姿とされる七歳像は平安時代の作という。南無仏舎利は、2歳の太子が東を向いて手を合わせて「南無仏」と唱えた際、手のひらからこぼれ落ちた釈迦の骨と伝わる。この仏舎利を納める容器は南北朝時代の作とされる。

 大講堂には五色幕が飾られ、五重塔や金堂には幡がつけられた。大講堂の前に舞台が設けられ、舞台の脇には源頼朝の寄進と伝わる大太鼓(だだいこ、国重要文化財)が置かれた。

 法要では、千年以上続く雅楽団体の南都楽所(がくそ)が「迦陵頻(かりょうびん)」などの舞楽を舞台で奉納した。法隆寺をはじめ中宮寺(斑鳩町)、橘(たちばな)寺(明日香村)、達磨(だるま)寺(王寺町)、斑鳩寺(兵庫県太子町)、叡福寺(えいふくじ、大阪府太子町)など太子ゆかりの寺の僧侶17人がお経に節をつけた声明(しょうみょう)を唱えた。

 論議台に座った古谷管長が「神分(じんぶん)」と「表白(ひょうはく)」を読みあげた。神分は全国の神々、特に地元の春日大社、龍田大社、斑鳩神社の神に対し、世界平和や疫病退散などを祈る。表白は太子の功績をたたえた上で、神分と同様に疫病退散などを願うものだ。四天王寺大阪市)の僧侶も太子をたたえる慶讃文(けいさんもん)を唱えた。

 招待者らの焼香では朝日新聞社の中村史郎社長も焼香した。観音の化身と仰がれた太子をたたえ、僧侶らが「南無観音化身上宮太子」と唱えて、この日の法要を終えた。

 参拝に訪れた奈良県生駒市の篠原美華さん(49)は「ふだん見られない飾りや楽器、色鮮やかな衣装が興味深く、昔がしのばれました」と話した。

 太子は622年に亡くなったとされ、疫病が原因だったとも言われている。法隆寺では奈良時代から太子をしのぶ法会「聖霊会(しょうりょうえ)」が始まった。現在も毎年3月に太子の命日の法要「お会式(えしき)」が行われる。10年に1度、別に大規模な法要を営んでいる。100年前の大正時代の1300回忌は国を挙げての法要で、尽力したのは新しい1万円札の顔になる渋沢栄一だった。

 古谷管長は「太子を慕って多くの人がお参りに来てくれ、無事に初日を終えられ、ありがたい。コロナ禍の今こそ、自分のことだけでなく、相手のことを思いやることが大事だ。太子の和の心を思い起こしてほしい」と話した。

 法要は4、5日にもある。(岡田匠、上田真美)