小さな詩人をほめて30年 自分がもらえなかった言葉を

高木文子
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 岐阜県内の小学生が対象の「コボたち詩コンクール」で入賞した子どもたちに、約30年にわたり、感想のはがきを送っている「おばさん」がいる。自身はつらい幼少期を過ごした。子どものころにかけてもらえなかった励ましの言葉をペンに込める。

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 「すばらしい詩です」

 飛驒市古川町の田中和江さん(85)が自宅のリビングでペンを走らせた。「ぼくはえがお」という詩を書いた、小学3年生に送るはがきだ。

 「いつも多くの人々に『笑顔』という花束をプレゼントしているのですね」。会ったことはない。その子の笑顔は花束みたいに素敵だろう。想像しながら言葉を紡ぐ。「笑顔をおばさんもみたいです。きっとよい笑顔なんでしょうね」

 コンクールは「コボたちつづり方教室」と朝日新聞社が主催し、45年前から続く。コボは「小さな男の子」を指す方言だ。入賞作が年に100点以上、朝日新聞岐阜版に載る。

 田中さんの三女(52)が小学生のころ、詩が掲載された。すると、見ず知らずの読者が感想をつづったはがきをくれた。だから自分も30年ほど前から、作品が載った子の学校宛てに感想のはがきを書き始めた。13年前からはすべての掲載作について、はがきを出すようにしている。

 伝えたいのは、ほめ言葉だ。「すばらしい詩」「パチパチパチ、がんばっていますね」――。自分が子どものころ、かけてもらえなかった言葉だ。

 田中さんが6歳のときに出征した父は、後にブーゲンビル島(パプアニューギニア)で亡くなった。母は子ども3人を抱え、さらに妹が生まれて体調を崩した。長女の田中さんが半年以上、学校を休んで家を手伝った。学校で九九は習えないままだった。

 8歳から親類らの家で赤ちゃんを背負い、子守の代わりにまかないの飯を食べた。弟と妹は親類に預けられ、1年以上たって迎えにいくと、妹が「おばちゃんをこれから母ちゃんって呼んでもええの」と聞いた。母は泣いていた。

 母の教えは「世間に遠慮して生きろ。人と同じことをしてはだめ」。家で本を読もうとすると、手伝いができないからと叱られた。学校で先生にほめられた覚えもない。

 中学を卒業した田中さんは、三重県四日市市の紡績工場で働き、詩を書き始めた。飛驒市に戻って22歳で結婚し、3人の子を授かってからも「言葉が泉のようにわいた」。平和への願い、子育て、飛驒路の春――。チラシの裏に必死に詩を書きとめた。幼いわが子を背負い、露天で卵を売ったお金で詩集を出した。38歳で通信制高校に入り、青春は取り戻せたと思う。

 最近はコロナの「見えない縄目」に心が縛られたようで、いつも応募する文芸祭にも書く気がしなくなってきた。でも「コボたち」の詩には、子どもの素直な気持ちがあふれている。朝刊を開くたびに「子どもは詩人だ」と目を見張る。感想のはがきに向かうと、すらすらペンが走った。(高木文子)

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 大垣市立安井小学校5年の森川千寛さん(10)も、4年生のときに書いた詩が岐阜版に掲載され、田中さんにはがきをもらった。知らない人からはがきをもらうのは初めてで「僕が書いた詩を読んでくれた人から感想の手紙をいただき、とてもうれしかった」。

 詩は「えさをやっているのはぼくなのに」というタイトルで、飼っているクワガタに3分間も指をはさまれ、血が出たときの思いをつづった。はがきは「毎日、世話をしている人を忘れることはありません」となぐさめてくれた。ただ、森川さんは「クワガタはたぶん忘れていると思う」とはにかみながら話した。