私は二流でいい 泉ピン子さんに語った橋田さんの真意

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聞き手 編集委員・後藤洋平
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 名作ドラマを数多く手がけ、4日に亡くなった脚本家橋田寿賀子さん。代表作「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」などに出演した泉ピン子さんが6日、朝日新聞の単独取材に応じました。泉さんは約1時間にわたって「権力には屈さない」と語っていた橋田さんの信条や、一緒に旅をした各国での思い出とともに、ともに過ごした日々への感謝の言葉を語ってくれました。

「ママ」に誘われて引っ越し

 ママ(橋田さん)が手がけた1978年のNHKドラマ「夫婦」に出演させてもらったのですが、その作品の視聴率がとても良く、賞もたくさん頂くことになりました。それで私は初めてママに「自分のことを『女優』って言っていいですか?」と聞きました。返ってきたのは、「あんたと一緒にやると、視聴率が取れるジンクスがある」という言葉でした。

 その5年後に「おしん」が始まりました。以降、ママは私にとって40年にわたる友であり、一番の理解者であり、味方でした。

 私が熱海に移住したのもママからの「あんた、越しといでよ」という誘いがきっかけです。当時、私は東京に住んでましたし、お金に余裕があったわけでもなかったのですが、「お金は私が貸してあげるから、マンションを1軒持っとけ」と。物件も一緒に見に行って「ここは海の前で、なかなか売りに出ない」と勧められました。

 夫は大分県出身だから田舎が好きだけれど、私は東京の都会生まれだから、本当は熱海は好きじゃなかった。だけどママが脚本を担当したドラマでアメリカのロケが長い作品があって、その現場がすごく田舎だったんですよね。すると熱海が都会に見えて、何より先生もいるしと思って、熱海にもっと広い家を買って本格的に住むようになりました。

トナカイに「かわいいね」、その晩に…

 ママに誘われて世界中、色んな国を旅しました。「おしん」は世界中で放送されているから、私はジャマイカでもベトナムでも北極の船の中でも「おしんマザー!」と声をかけられました。ドレッドへアの男性からも「マザー!」ですよ。ママは隣で「あんたは良いわね。出てるから。私が書いてるのに」と言ってました。

 エジプトにも行きました。大規模なテロがあった後で、少しは落ち着きはじめていた時期でしたが、TBSからは「危険だから行かないでほしい」と言われました。でもママは「何言ってるのよ。今行けなかったら、二度目なんてないのよ」と言い返した。

 もちろんエジプトでも「おしん」はみんな知っています。ママの知り合いにエジプト国営放送の職員がいたから、現地の有名な番組にそろって出ました。私、軽い気持ちの旅行だったから、きちんとした靴も履いていなかったんですけど。

 海外に行くと、現地ならではの料理を食べるのがおきまりでした。フィンランドでは昼間にトナカイの大群を見て「かわいいね」と言っていたのに、夕食はトナカイのステーキ。うろたえる私に「馬鹿言ってんじゃないわよ。ここでしか食べられないじゃない」と笑ってました。

 とにかく好奇心が旺盛でしたね。ダイアナ妃が亡くなった後に「現場を見に行こう」「彼女が最後に食事をしたリッツのレストランにご飯を食べに行こう」って。すごい行動力です。

 「私はもう長くないから、一緒に船に乗ろうよ。あんたと最後に旅行に行きたい」と言われて、主人を置いてタヒチに行ったのは、かなり前のことです。だから私、その後ずっとママに「うそつき。あんた、あれから何年経ってるのよ」と言い続けていました。

 でも、2019年の年末からのニューイヤークルーズでのグアム、サイパンは、本当に最後の旅になりました。その時は私たちは夫婦でご一緒しました。お正月も船で過ごして、おせち料理も食べて。それで、帰国した後に新型コロナダイヤモンド・プリンセス号のことが起きました。「私だったら、閉じ込められるのに耐えられないわ。泳げるんだから、私だったら海に飛び込んででも家に帰るわ」とおっしゃっていた。

記事の後半では、2人が「絶交」した話や橋田さんをみとったときの様子、そして単独取材を受けてくださったある「理由」をお話しになっています。

最終回を徹夜で書き上げた理由

 私が結婚する時には「幸せに…

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