NHK連続テレビ小説「おちょやん」の4月8日の放送回で、新しい時代の女性の登場を描いたイプセンの古典「人形の家」の名ゼリフがヒロインによって語られ、視聴者から大きな反響があった。このセリフが持つ意味は何か。現代演劇の研究者で、テレビドラマ批評も手がける岡室美奈子・早稲田大学教授に聞いた。
この放送回は、1945年8月15日が舞台。大阪に暮らす千代(杉咲花)たちは終戦を迎えた。家族を失い悲嘆に暮れる人たちがいる。空襲に遭った町には戦禍の跡が残る。
千代は自宅前の路地にうずくまり、うめくように声を出し始める。
「私はただ、しようと思うことは是非しなくちゃならないと思っているばかりです」
独りごちるように繰り返し、声は大きくなっていく。
「私には神聖な義務がほかにあります!」
「私自身に対する義務ですよ!」
ひとり芝居で二役のやりとりを続ける。
「何より第一に、おまえは妻であり、母である」
「何よりも第一に、私は人間です。ちょうどあなたと同じ人間です。少なくともこれからそうなろうとしているところです」
そして、千代は涙をこぼしながらも声を張る。
「これから一生懸命わかろうと思います。社会と、私と、どちらが正しいのか、決めなくてはなりませんから!」
幼少の千代が芝居に興味を持つきっかけになった「人形の家」の一節だ。人気俳優の高城百合子(井川遥)が演じる姿に憧れ、台本をすべて暗記するほどに繰り返し読んだ戯曲だった。
この放送について、視聴者は「過去の放送が伏線だった」と大きく反応した。SNS上には「なにこの壮大なロングパス伏線!」「セリフが終戦のこのタイミングにマッチしすぎていて鳥肌が立つ」などの声も上がった。「人形の家」は一時、トレンドワードにもなった。
岡室さんは「千代の凜とした姿が印象的で、彼女が戦後をどう生きるかを予兆させる場面だった」と評価する。
千代はそれまで、酒とばくちに溺れては金の無心にくる父・テルヲ(トータス松本)から離れようとしても離れられずにいた存在だ。「父から愛されたかったし、自宅にやってきた『鶴亀家庭劇』の団員にかいがいしく世話を焼く古風な女性。言うなれば、家父長制的な価値観から抜け出せない存在でした」と岡室さんは指摘する。
一方で、ノルウェーの劇作家イプセンが1879年に書いた「人形の家」は、日本では女性の自立を描いた作品として受容されてきた歴史がある。夫に支配されていた人生に気づき、自由を求めて家を出ていくノラが主人公。千代が暗唱したセリフは、戯曲の終盤に登場するノラの「宣言」のようなものだった。
岡室さんは、千代が戦中に体…