「人生の岐路、決めるのは自分」 小平奈緒の強さの源泉

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聞き手・榊原一生
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 平昌冬季五輪スピードスケート女子500メートルで日本女子史上初の金メダルに輝いた小平奈緒は、頂点に立っても心は満たされなかったという。滑りで何が表現できるのか。その問いに今も向き合い続け、今年で35歳になる。北京五輪のシーズンを始動した今の思いを聞いた。

 ――4月10日の本格始動を前に、地元長野で聖火ランナーを務めました。

 「聖火は私にとって神聖なものです。炎の揺らぎを見ただけで小学生だった23年前の長野五輪で、選手の滑りに憧れを抱いた当時の記憶がよみがえってきます。北京五輪に向けて心に火をともす、いいきっかけとなりました」

 ――金メダリストとなって3年。自分との向き合いに変化は?

 「平昌五輪で金メダルをとった後、男子のレースを見て『スケートに打ち込みたい』と思えたんです。力に頼らないコーナーワークや滑りの繊細さに魅せられました。満足しなかったということは金メダルが最終的な目的ではなかった、ということです。それに気付けたことは大きいことでした」

 ――技術を高める一方、コロナ禍の昨季は500メートルで5年ぶりに国内で敗れるなど多くの負けを経験しました。

 「スポーツは残酷です。順位で評価が決まりますから。選手は人種や体格などそれぞれ違いがあって、本来は比べようがないものです。才能もそう。違いを優劣として比較してしまうとそれがうらやましかったり、自分と異なることを排除しようとしたりします」

親からもらった体を最大限に

 「アスリートは超人ではなく、一人の人間です。パフォーマンスばかりに目が行きがちですが、弱みも抱えています。調子が悪かったり、勝てない自分を見せたりすることは恥ずかしいことかも知れません。でも今は乗り越える姿など、ありのままを見てもらい、私の生き方そのものを表現できればと考えるようになりました」

 ――その表現こそが、順位という結果より大事だと?

 「過去に母親はこう言葉をかけてくれました。『一生懸命滑っている姿を見ていただくことが唯一奈緒にできることだよ』と。また昨年、大型台風で被災した地元長野でボランティアを経験し、人々と励まし合えるつながりは壁を取り除く大きな力になった。弱みも自己表現の一部分です。私の生き様のようなものを親からもらったこの体で氷上で最大限に発揮することが終着点だと思うんです」

 ――平昌五輪李相花(イサンファ)選手を抱き寄せたシーンは、今も多くの人の記憶に残っています。

 「自分とサンファはいつも励まし合い、高め合ってきました。自分が持っていないものを持っていることは本来は尊いことで、サンファはスタートダッシュが得意でした。個々の違いを尊重し合うからこそ自然と生まれたあのシーンは、金メダル以上の価値を持つかけがえのないものです。スポーツの本質というものを強く考えるようになりました。結果が着火剤になるのは確かですが、今は自己表現や考え方などの中身を充実させ、結果にも結びつけたい」

自ら決断し、勇気や覚悟を持って突き進む人生について思いを語った小平奈緒さん。記事後半では来年に迫った北京五輪や競技生活の終わりについて聞きました。

 ――中身の充実がどう勝負に生き、自信となるのでしょうか?

 「勝負では『自分はできる』と信じることが大切です。私はただ練習をこれだけしたから、というところに自信は求めません。やっぱり人生の選択の局面を自分で決断し、生き方を自分で決めてきたということに尽きます。覚悟が宿り、選んだ道だからこそ成功ではなくても、正解だと思えます」

 「小平家ではすべてが自己責任です。小学生の時の習い事は6年生まで続ける覚悟を求められました。そこにはある種の責任が伴います。父からは信州大入学時、『すべては自己責任』と言われ送り出されました。シビアな面もあります。でも、自分で責任を負い、下したその決断には勇気が持てると思いませんか」

 ――昨季はシーズン中にもかかわらず、体の動きを一から見直すために氷上練習をやめました。

 「あの決断も自分でするから…

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