AON、片山、石川、そして松山 日本勢の挑戦85年

畑中謙一郎
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 「ゴルフの祭典」と呼ばれるマスターズ・トーナメントが始まったのは1934年。全英オープン全米オープン、全米プロ選手権と並ぶ男子のメジャー4大会の中で、最も後発の大会だ。

 日本選手が初めて出場したのは36年の第3回大会。「アイアンの達人」こと戸田藤一郎と、当時植民地だった台湾の陳清水が招待された。陳は20位、戸田は29位に入った。ここから、日本勢による挑戦の歴史が始まった。

 会場は米南部のジョージア州にあるオーガスタ・ナショナルGC。広大な果樹園だった土地を活用してつくられた。フェアウェーが広く、いわゆるラフがない。一方で、グリーンは高速で起伏に富む。

 ボールを遠くまで飛ばすパワーと、繊細さが求められるショートゲームこそ、ゴルフの醍醐(だいご)味だという、大会創立者の球聖ボビー・ジョーンズ(米)の思いが込められている。日本ではお目にかかれないスケールの大きいコースを前に、日本選手はなかなか結果を出せずにいた。

 上位争いに加われるようになったのは、いわゆる「AON」の時代からだ。73年に尾崎将司が8位となり日本勢として初めてトップ10入りした。76年にはTBSが衛星中継を開始し、注目度が一気にアップ。日本の選手たちの意欲をかき立てた。中嶋常幸は86年に8位、91年に10位の成績を残している。

 さらに2001年には、伊沢利光、09年には片山晋呉がそれぞれ4位に入った。松山英樹東北福祉大在学中の11年に初出場。27位に入り、アマチュア最高位の「ローアマ」を日本勢として初めて獲得した。この大会では、同学年の石川遼が20位に入っている。

 米ツアーに本格参戦した15年に5位、16年に7位。優勝争いの雰囲気は既に経験済みだ。満を持して単独首位で迎える最終ラウンドに臨む。(畑中謙一郎)

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