「孤独と出会い」最期まで発信 被爆者小崎登明さん死去

榎本瑞希

被爆者の小崎登明さん、93歳で死去

 「罪」の意識を背負った被爆者として、長崎のカトリック史を掘り起こす修道士として、病と向きあう一人の人間として。15日に93歳で死去した小崎登明(おざきとうめい、本名=田川幸一)さんは、死の間際まで出会いを広げ、発信を続けた。ゆかりの人は感謝の言葉で見送った。

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 小崎さんは1928年、現在の北朝鮮生まれ。三菱兵器製作所の少年工員として働き、長崎市赤迫のトンネル工場で被爆した。爆心地から約500メートルの家にいた母とは二度と会えず、孤児となった。

 「最期まで、8月9日に感じた自分の『弱さ』と向き合っていた」。国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の横山理子(みちこ)さん(47)は振り返る。昨秋から毎週、面会やビデオ通話を重ねた。

 自分に暴力を振るった年長の工員がうめいているのを見て「ざまあみろ」とののしり、助けを求める手を振り払って逃げた。無事だった自分に「エリート意識」を感じた――。「人間とは悲しい存在」。最後となった2月の講話でそう語った。

 戦後、聖母の騎士修道院長崎市)に身を寄せ、修道士に。ポーランド人のコルベ神父(1894~1941)に希望を見いだした。長崎で布教し、アウシュビッツ強制収容所で身代わりを申し出て亡くなった神父の生き方を、自らの体験と対置。30代から長崎やポーランドで足跡を調べ、雑誌や著作で発表した。

 80年代初頭には神父の資料を作家・遠藤周作に提供。遠藤の代表作の一つ「女の一生――二部・サチ子の場合」に結実した。

 カトリック長崎大司教区の高見三明大司教(75)は「多くの人に、魂の糧になることを伝えつづけてくれた」とねぎらった。

 2009年には「人生を語りたい」とブログを始めた。思い出や、度重なるガンとの闘病をつづった。亡くなる前日に「もう、チカラが無い」と書くまで、諫早市の老人ホームや入院先の聖フランシスコ病院(長崎市)からほぼ毎日更新していた。

 ブログ読者だった看護師の塩沢美樹さん(38)とドイツ語講師の野々村哲さん(44)は何度も小崎さんを訪ねた。小崎さんが撮影した約1万カット分のネガの整理を手伝い、19年には長崎市で写真展も開いた。塩沢さんは「見たことのない世界を見せてくれた。思い出の中で、また会える気がする」と話した。

 自らの信念を、生前の小崎さん自身はこう語っていた。「生きるとは、孤独と出会い」(榎本瑞希)