バレエ服の私は男の車に…沖縄で渡された「汚い5ドル」

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ニューヨーク=藤原学思
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 きれいに写真を撮ってください、と彼女は言った。決してかわいそうな女性に写らないように、不幸な被害者に見えないように、と。

 日系米国人でノルウェー・オスロに暮らすベッツィー河村さん(59)はいま、性犯罪の被害者が声をあげやすい環境づくりをめざし、NGO法人をつくって活動している。4月はニューヨークに滞在し、国連職員らと対話を重ねた。

 彼女が沖縄で性被害にあったのは、もう47年前になる。ただ、どれだけ月日が流れても、人生を大きくゆがめたあの数日間を、あの男のコロンのにおいを、忘れることができない。

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大型書店で話しかけてきた白人

 河村さんは1961年、ハワイにルーツがある父と、日本人の母のもとにカリフォルニア州サクラメントに生まれた。父は電気技師で、主に米軍との契約で家族を養っていた。河村さんが2歳のころ、やはり米軍との契約の関係で、一家で沖縄・コザ市(現・沖縄市)に移住した。

【連載】子どもへの性暴力

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 沖縄の自宅は、嘉手納飛行場の入り口から徒歩10分ほどの場所にあった。米兵相手の歓楽街「BCストリート」(現・中央パークアベニュー)がすぐそばに広がっていた。「トップレスの女性のポスターがあちこちにあって、すごく嫌な、ひどい雰囲気のところだった」

 米軍はごく身近な存在だった。「基地が私の世界だった」。基地内の幼稚園、小学校に通った。バレエもそこで習った。

 事件があったのは、12歳のときだ。

 74年の晩秋、基地内でのレ…

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