「歴史の証人がまた一人…」 モンデール氏死去に悼む声

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 元米副大統領で、クリントン政権の駐日大使を務めたウォルター・モンデール氏が死去した。米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の日本への返還合意に尽力したことなどから、当時を知る関係者や閣僚らからも悼む声が上がった。

 「歴史の証人がまた一人亡くなった。寂しい思いでいっぱいだ」

 1996年に普天間返還で合意した橋本龍太郎首相(当時)の秘書官を務めた立憲民主党江田憲司代表代行は、朝日新聞の取材に語った。

 モンデール氏は橋本首相との交渉を重ね、同年4月、「5年ないし7年以内」に日本に全面返還することで合意した。江田氏によると、合意に際し、首相の執務室から大田昌秀沖縄県知事に電話で一報を入れ、モンデール氏にも知事とやりとりをしてもらったという。

 江田氏は「副大統領の経験がある大物大使のモンデール氏だからこそ、返還合意ができた面がある。感謝の意を込めて、ご冥福をお祈りしたい」と述べた。

 加藤勝信官房長官も会見で「モンデール氏の思いを引き継ぎ、地元の理解も得ながら、普天間飛行場の一日も早い全面返還をめざす」とした。茂木敏充外相は「今日の強固な日米関係の礎を築かれ、同盟強化に大きく貢献された。敬意を表したい」と話した。

 また、沖縄県玉城デニー知事は「沖縄の基地負担軽減にご尽力された。敬意を表するとともに、心からご冥福をお祈り申し上げる」とのコメントを発表した。

 コメントでは、2016年に翁長雄志前知事が訪米した際のモンデール氏の発言を引用。モンデール氏が「本土にあった米軍施設はより早い段階で返還が決まったが、沖縄については米国は土地を接収して基地を建設した。このため、沖縄の負担軽減や土地の返還というのは引き続き課題」と述べたことに対して、「沖縄の基地問題についても、深い理解を示されていた」と言及した。

 また、日米両政府の合意発表から25年が経っても、普天間飛行場の返還が実現していないことに対して「事故や外来機の飛来の増加など周辺住民は依然として大きな負担を強いられている」と述べ、普天間飛行場の早期閉鎖・返還を実現するため、日米両政府に対して、沖縄県との対話の場を設けることを求めていく考えを改めて示した。