市場が「失敗」するとき 最低賃金1千円の意義とは

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コラム「経済季評」 経済学者・竹内幹さん

 菅義偉首相は3月、非正規労働者の処遇改善に向けて、「最低賃金をより早期に全国平均千円」に引き上げたい、と発言した。筋金入りの市場原理主義者だった故・フリードマン教授ならば、こう酷評するだろう。「最低賃金法でなにかが変わるとでもいうなら、貧困を悪化させることだけは確かだ」。多くの経済学者は最低賃金法は、賃金が一定水準以下の雇用機会を奪うので、低賃金でしか働けない貧困層の職を奪うだけだ、と長らく信じてきた。

 しかし、最近は、風向きが変わりつつある。アメリカ経済学会が発行する『エコノミック・パースペクティブ』誌の最新号は、最低賃金を特集した。筆頭論文は「最低賃金が与える雇用への捉えどころなき影響」だった。同論文によれば、過去の様々なデータを分析しても、最低賃金が雇用減少につながったという明白な証拠は得られなかった。そもそも一定の雇用が必要なとき、つまり労働の需要曲線が垂直に近い場合、最低賃金が導入されても、雇用は減少しない。最低賃金が上がれば、離職率が下がり、採用経費も節約されるので雇用創出にもつながるという。

たけうち・かん 1974年生まれ。一橋大学准教授。研究テーマは実験経済学、行動経済学。

 雇用の「買い手独占」という要素も忘れてはならないだろう。就業機会の乏しい地域では、雇う側が独占的地位を乱用し、賃金を低く抑えていることもある。この場合、最低賃金法で賃金を引き上げると雇用は増大する。こうした効果もあり、最低賃金の引き上げが雇用の減少を必ずしも引き起こすとは言い切れない。

 経済理論でも、変化が見られた。従来の「古典的モデル」は、賃金と雇用量は、労働の需要曲線と供給曲線が交わる均衡点で決まるとしていた。このモデルでは最低賃金の引き上げは失業を引き起こすとしかいえない。一方、主流になりつつあるのが「サーチ理論」だ。情報の非対称性や探索費用を明示的に扱う理論だ。この理論によれば、求人と求職、すなわち労働の需要と供給は相手を探し続けるから「摩擦的失業」が起きると想定される。すると、最低賃金を引き上げれば、求職活動が活発となり、この摩擦的失業は減少する、ともいえるのだ。

成長の果実、労働者にいきわたらぬ米国

 最低賃金の引き上げは先進国のトレンドになっている。昨年、スイスのジュネーブ州では最低賃金を時給23スイスフラン(約2700円)に引き上げることが住民投票で決まった。最低賃金としては世界最高だろう。他方、日本は時給902円(全国加重平均値)にすぎない。

 一般的に、最低賃金を国際比較する場合は絶対額でなく、フルタイム労働者の稼得の中央値を100として最低賃金がその何%に相当するかを比べる。OECDのデータでは日本は44%で、加盟国でデータがある31カ国のなかで27位だ。

 そんな日本よりも低く、32…

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