子どもたちが学校行事のたびに歌う「校歌」。口ずさむと、当時の思い出が胸に浮かぶ人も少なくないかもしれません。でも、なぜ学校ごとに歌がつくられるようになったのでしょうか。校歌の成り立ちをたどってみました。
「校歌の誕生」(人文書院)の著者、須田珠生さんによると、校歌の制定は学校に義務づけられたものではなく、慣習的に生まれていったといいます。
まず、文部省(現・文部科学省)が1891(明治24)年に祝祭日の学校儀式で唱歌を合唱するよう定めたことが、「みんなで歌う」ことが学校に普及するきっかけとなりました。
そして、儀式で歌う唱歌は文部省の認可が必要でした。この決まりに従い、忍岡尋常高等小学校(現・東京都台東区立忍岡小学校)が申請した歌が、「校歌」として認可された記録が残っています。このため、明治時代の中期には校歌が生まれたと考えられます。
時代によって、校歌に登場する言葉も変わっていきます。なじみのある地名でなく「世界」や「宇宙」が歌詞に入った学校も今ではあります。校歌がどのような変遷をたどったかを追いました。
薄かった「学校固有の認識」
当初は、複数の学校で校歌を…