大政奉還、敵前逃亡…徳川慶喜、「独断型」だから選択?

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 水戸徳川家に生まれて、徳川御三卿の一つだった一橋家に入り、やがて江戸幕府の15代将軍となる徳川慶喜(よしのぶ)。放映中のNHKの大河ドラマ「青天を衝(つ)け」では草彅剛さんが演じ、強烈な存在感を示している「最後の将軍」とは、いったいどんな人物だったのか。

 徳川慶喜は1837(天保8)年9月29日、江戸・小石川の水戸藩上屋敷で藩主・徳川斉昭の七男として生まれた。13代将軍徳川家定の後継候補にあがったが、大老・井伊直弼(なおすけ)らの反対でさたやみに。安政の大獄では謹慎を命じられたが、その後復権し将軍後見職などをへて、幕府の第15代将軍に就任。自ら先頭にたって幕政改革を進め、土佐藩からの「大政奉還建白」を受けて、倒幕の機運が高まった局面の打開を目指して朝廷に政権を返上するが、王政復古のクーデターで水泡に帰した。

 鳥羽伏見の戦いで敗れた後は…

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