持続可能な「太陽建築」後世に 山形・酒田の週末カフェ

鵜沼照都
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 太陽光を利用した快適な省エネ建物「太陽建築」を提唱した建築家が山形県庄内地方を拠点に活動していた。2014年7月に77歳で死去した故・井山武司さん。酒田市山楯にある井山さんの元事務所では春になると週末限定のカフェがオープンし、理念や業績を巡る交流が今も続く。

 17日午後、井山さんの元事務所「太陽建築研究所」で開かれた「喫茶やまねこ」には、井山さんが手がけた建物に暮らす人や知人らが訪れていた。

 井山さんは1938年、酒田市生まれ。東大・同大学院で丹下健三研究室に所属し、東京五輪(64年)の屋内競技場設計や旧ユーゴスラビア・スコピエ市の再建計画に参加。66年に大学院修了後は酒田市を拠点に建築家として歩み、76年には酒田大火の復興専門員になった。79年から「パッシブソーラーハウスシステム」の研究・設計に取り組んだ。

 パッシブソーラーでは、太陽光発電や太陽熱温水器などの機器を極力使わず、「南側に大きな窓を設ける」「夏の強い日差しを避けるためにひさしを設ける」といった具合に、通風や採光を計算して建物そのものの形を工夫する。さらに、「太陽建築」では断熱や蓄熱に効果のある建材を配置することで、冷暖房や給湯、調理などに使うエネルギーを減らしつつ、冬は暖かく、夏は涼しい室内を目指す。井山さんはこの思想に基づいて、生涯に51の住宅や保育園、公共施設などを設計した。

 「太陽建築研究所」は、93年に井山さんが設計・建設した事務所兼住宅だ。太陽建築の「モデルハウス」として建築関係者らの視察が今も絶えない。井山さんの死後は支援者だった鶴岡市の自営業、小島英理子さんが「太陽建築研究会」を設立し、建物の管理と「太陽建築」の紹介や子ども向けのワークショップなどを引き継いでいる。

 研究所を気軽に訪問してもらおうと、小島さんが17年にカフェを始めた。小島さんは「井山先生は『自然を無視しても建物は出来るが、動物として間違っている』と話していた。原子力発電を不要にし、地球温暖化を防止し、経済的な住居・施設を設計することをめざしていた。『戦争はエネルギー問題によることが多い』と話し、建築家として立ち向かったその思想と哲学を後世に伝えていかなければ」と話している。

 次回の「喫茶やまねこ」は24日午前10時~午後4時、25日午前9時~午後3時。大型連休の期間中はリクエストがあればオープンする。連絡は小島さん(090・4887・4475)へ。(鵜沼照都)