那覇市100年 戦争で消えた港町のにぎわいと洋風建築

[PR]

 朝日新聞大阪本社(大阪市)で、戦前の沖縄の写真165枚が見つかった。大半が現在の那覇市で撮られたとみられる。琉球王国時代からの港町のにぎわいとモダンな洋風建築が共存する風景。戦争で多くが消された近代沖縄の姿を紹介する。

那覇市の歩み

1879(明治12)年 廃藩置県(琉球処分)。沖縄県庁が置かれる

1896(明治29)年 特別区制が施行され「那覇区」に

1921(大正10)年 市制が施行され「那覇市」に

1944(昭和19)年 10月10日の大空襲で当時の市域のほとんどが焼ける

1945(昭和20)年 沖縄戦で焦土に。戦後は米軍が占領

1952(昭和27)年 米国統治下の琉球政府の首都に。57年までに周辺の市村と合併

1972(昭和47)年 沖縄の本土復帰。再び沖縄県の県庁所在地に

近代化、人々の動き活発に

 那覇市歴史博物館の外間政明学芸員の話 今回発見された写真の多くが那覇のもの。那覇市制100周年の年に、これだけ多くの鮮明な那覇の写真が出てきたことは貴重でありがたい。那覇は1879(明治12)年の廃藩置県で沖縄県庁が置かれ、近代化の中心地となる。インフラ整備が進み、新しい建物が建っていくにつれ、人々の動きが活発になった。特に大正から昭和にかけてはその動きがより大きくなった時代。写真では裸足で歩く人や、魚や野菜を売る女性たちの姿、真新しいモダンな建築物など「動きのある那覇」を見ることができる。本土から見ても、そんな那覇は魅力的に見えたのではないか。

「琉洋折衷」の名建築、鮮明

 川島智生・京都華頂大学教授(近代建築史)の話 戦前の沖縄にあった名建築の数々を鮮明に写しており、貴重だ。沖縄は琉球処分で日本の一県になってから、他の地域と同様、洋風の公共建築物が登場する。沖縄の近代建築の特徴は「琉洋折衷」だ。上げ下げ窓が特徴の洋風の建物に、雨風に強く沖縄の風土に合う赤瓦の屋根を載せる。京都高等工芸学校教授で建築家の武田五一は那覇区役所(のちの市役所)の設計に、当時米国西海岸で流行した「スパニッシュ・ミッション」を取り入れた。赤瓦屋根とアーケードを組み合わせる様式で、武田は那覇区役所以降、関西を中心に同様の建築を広めていく。これらの特徴的な建築物が沖縄戦で姿を消したのはとても残念だ。

おことわり

 今回見つかった写真は、撮影者が不明の写真も含まれます。社外の刊行物に掲載されている写真があることも確認しており、今後の取材で撮影者などの特定ができた場合、クレジットや写真説明などを変更する可能性があります。写真についての情報をお寄せください。福岡本部報道センター(s-shakai@asahi.comメールする)まで。沖縄タイムスとも共有させていただきます。

     ◇

 この特集は、写真のデジタル化を清水隆、記事や写真説明を真野啓太、島崎周、沖縄タイムス・城間有が担当しました。