芸歴なんと81年 文楽人間国宝・吉田簑助の魅力とは

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向井大輔
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 昭和から令和にかけて、人形浄瑠璃文楽を牽引(けんいん)してきた人形遣いで人間国宝吉田簑助(87)が引退した。芸歴81年の簑助の魅力とは何か。その舞台を50年以上見続けてきた識者に聞いた。

内山美樹子・早稲田大学名誉教授が語る

 「女形の人形遣いとして、若妻や封印切(冥途の飛脚)の梅川のような傾城(けいせい)(遊女)も含めて“娘”がすばらしかった」

 厳格な文楽評で知られる内山美樹子・早稲田大学名誉教授はそう話す。代表的な役は、「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」のお三輪と雛鳥(ひなどり)、「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」のお初、「染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)」のお染など、次々と思い浮かぶという。

 「心中宵庚申(よいごうしん)」で簑助がお千代、初代吉田玉男が夫の半兵衛を遣った時も印象が深い。「美しい簑助の芸と、知的な玉男の芸がうまくかみ合った。2人がこの演目を作り上げたと言ってもいいぐらい」と評する。

 簑助は、人形遣いの父の影響もあり6歳で入門。師匠の家に住み込んでトイレ掃除などの雑用をしながら、「足遣い10年、左遣い15年」と言われる厳しい修行を重ねた。その中でもともと備わっていた天分が花開いていった。内山さんは1956年、20代の簑助が「桂川連理柵(れんりのしがらみ) 帯屋」でお半を遣うのを見た。その時すでに「若手のホープ」と呼ばれていたという。「本当に華のある輝くスター。今後こういう人は出てこないのでは」

舞台制作をともにした演出家の山田庄一さん

 簑助は、20~30代の上方芸能の演じ手たちが1963年につくった同人誌「上方風流(かみがたぶり)」に参加し、文楽への思いをつづった。上方風流の呼びかけ人だった演出家で元国立劇場理事の山田庄一さん(95)は、簑助と舞台制作をともにした。

 「非常に器用な人で、繊細な…

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