よみがえった弥生時代 安満遺跡公園、全面オープン

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編集委員・中村俊介
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 日本の始まり、高槻に――。そんなキャッチコピーが踊る。関西屈指の弥生集落跡、安満(あま)遺跡(大阪府高槻市)が現代によみがえった。市民が憩う遺跡公園として生まれ変わり、2500年前の風を吹かせている。

 安満遺跡は近畿地方の弥生社会の研究に欠かせない大規模な環濠(かんごう)集落跡だ。遺跡全体の面積は72万平方メートルに及び、その重要性から中心部が1993年に国史跡となった。高槻市が整備を続け、この3月下旬に全面開園した。

 はるか紀元前弥生時代の幕開けとともに、この地でも水田農耕がスタート。人々は竪穴住居を生活の場とし、周りには幾重に濠(ほり)を巡らせた。村びと総出で米作りや生産活動に励み、子どもを育て、家族が亡くなれば方形周溝墓と呼ばれる墓に葬った。遺跡公園はそんな弥生びとの日々の暮らしぶりをほうふつとさせ、豊富な出土資料はムラの移り変わりをも雄弁に物語る。

 縄文時代から弥生時代への過渡期については、まだよくわからないことも多い。その昔、朝鮮半島からの渡来人は、弥生文化の軸となる水田稲作や金属器文化など先進技術を携えて日本列島を訪れた。彼らは、1万年以上にわたって縄文文化をはぐくんできた列島の先住者と、どんな関係を築いたのだろう。平和的な共存だったのか、それとも対立したのか。

 安満遺跡では水田跡と一緒に、スキやクワといった木製品、稲穂を摘み取る石包丁などの農耕具もたくさん出土している。豊作を祈ったのだろうか、祭りに使われたらしい赤や黒で文様が施された土器が目を引く。と同時に、縄文的な漆塗りの櫛(くし)も見つかっており、「それまでの縄文社会と新たにやってきた弥生人の共生が考えられます」と、調査にも携わった森田克行・元高槻市立今城塚古代歴史館特別館長はいう。両者の平和的な交流もしのばれるようだ。

 高槻出身の西谷正・九州大名…

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