第3回米軍ヘリ墜落「天のお告げ」と焦った 石破茂氏の回顧

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聞き手=松山尚幹 編集委員・藤田直央
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 米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の返還合意から25年。日米両政府はいま、名護市辺野古沿岸部の埋め立て案を「唯一の解決策」と位置付けますが、かつて自民党政権下でも様々な案が浮かんでは消えてきました。防衛庁長官などを歴任した自民党の石破茂元幹事長(64)も、揺れ続ける計画を間近で見てきた一人でした。

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なぜ、普天間は動かないのか。これからどこへ向かうのか。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の電撃的な返還合意から25年。節目の今年、ワシントン、東京、沖縄にいる朝日新聞記者たちが、日米沖の政治家や官僚、識者や普天間周辺で暮らす人たちに取材しました。

 ――2002年9月に小泉純一郎内閣で防衛庁長官に就任しました。普天間飛行場の辺野古移設にはどう取り組もうと思ったのですか。

 「(日本への攻撃に対処するための)有事法制を成立させる、というのが就任時の優先課題。沖縄についてはまだ、(辺野古での)埋め立てという案が決まっていたわけでもなかった段階ですが、私なりの思いはありました。とにかく苦渋の決断ということで、普天間代替を受け入れると言ってくれたのが名護市でした。1997年に、市長が辞任してまで受け入れを決断してくれたわけだから、どうやったら負荷を少なくできるか、地元の反対の要因を除けるか、これなら受けいれてもいい、というものを究極まで考えなきゃいけない、という漠然たる思いはありました」

石破茂(いしば・しげる)

1957年生まれ、鳥取出身。慶大卒。旧三井銀行を経て、86年衆院選に29歳で初当選。当選11回。防衛庁長官、防衛相、農林水産相、自民党幹事長、地方創生相などを歴任。党総裁選にはこれまで4回挑戦している。

 ――長官在任中の2003年11月に、ブッシュ政権のラムズフェルド米国防長官が沖縄を訪れました。

 「東京での日米防衛相会談はミサイル防衛が主なテーマで、普天間飛行場の問題はとにかく辺野古に代替基地を建設する、急ぐんだ、ということで終わりました。その後、国防長官が普天間飛行場を視察しました。彼にも、ここでもし事故が起こると日米安全保障体制が相当に揺らぐ、という思いがあるんだろうなと感じました」

 ――04年の報道には、そのラムズフェルド国防長官の沖縄訪問を機に、米側が普天間飛行場の移転先として、先島諸島にある下地島空港への移転や沖縄本島米軍嘉手納基地への統合などに言及したというものがあります。米側からそういう話はありましたか。

 「公式に考えろと言われた記…

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